小田富彌の案だといわれる黒襟白紋付きだが、その紋付きに使われている家紋に注目してみた。家紋は髑髏(どくろ)マークだと思っていたが、意外にも初めから髑髏マークではなかったようだ。


下記の絵は、『丹下左膳』の前身『新版大岡政談』の一場面だが、家紋がはっきりと描かれている。六角形の中に「二」の字が描かれているのが判る。



挿絵:小田富彌、『新版大岡政談』(大阪毎日新聞昭和3年


下記の絵は、志村立美:挿絵、林不忘丹下左膳』(寶雲舎、昭和23年)第1巻の扉と、第3巻の表紙だ。ここには、背の髑髏(どくろ)の紋がはっきりとわかるように描かれている。



下記の『林不忘 丹下左膳 魔象』(『カラー国民の文学』河出書房、昭和43年、装丁:亀倉雄策)の函も志村立美が装画を描いている。ここでも髑髏の家紋がはっきりと描かれており、志村立美が、「これは私が考案したんだぞ」といわんばかりに、くっきりと見せている。