「大岡政談」に登場した悪党脇役が……

丹下左膳は、1927年(昭和2年)10月から翌3年5月に東京日日新聞に連載された「新版大岡政談・鈴川源十郎の巻」だ。当初は関の孫六の名刀、乾雲丸・坤竜丸という大小一対の刀を巡る争奪戦に脇役的に加わった一登場人物に過ぎなかった。主人公は当然鈴川源十郎であり、もう一人の主役も諏訪栄三郎で、左膳は、道徳や秩序とは無縁の無頼漢で、濡れ燕という妖刀を片手に殺戮を繰り広げる殺人鬼・ブラック・ヒーローだ。


黒襟(くろえり)をかけ、髑髏(どくろ)の紋が染め抜かれた白紋付きの着流しで、その裾からは女ものの派手な長襦袢がはみ出す隻眼隻腕の異様な姿の「キ印」とも思われそうな侍という設定と、小田富弥の描いた挿絵の魅力によって、悪役である左膳の人気は主役を食って急上昇してしまった。これこそが、時代が生んだ助演男優賞ものだ。



小田富彌挿絵、「新版大岡政談」大阪毎日・東京日日新聞、昭和2〜3年



小田富彌挿絵、「新版大岡政談」大阪毎日・東京日日新聞、昭和2〜3年


「新版大岡政談・鈴川源十郎の巻」は邑井貞吉の講談「大岡政談」を元にして書かれたもので、隻眼隻腕の日置(へき)民五郎と旗本の鈴川源十郎がコンビを組み悪行を繰り返す、という話の日置民五郎こそが左膳の前身だ。ストーリーは講談とは全く異なるが、鈴川源十郎はそのまま登場している。


「新版大岡政談」が映画化されると、さらに人気は上昇。原作者の林不忘は、この人気に気を良くし続編を発表。タイトルも「丹下左膳」と改め、丹下左膳が主人公であることを明確にした。ここに丹下左膳という名のヒーローが初めて誕生する。


当初この作品は毎日新聞に1933年(昭和8年)6月から11月まで連載され、途中で一時中断があるが、続きを1934年1月から9月まで読売新聞に連載。これは柳生家に伝わるこけ猿の壷の争奪戦を描いた物語であり、丹下左膳のキャラクターも前作のニヒルな感じから正義の味方的要素を増した描き方に変わった。