通信販売が大成功

このにっちもさっちも行かなくなった状況の中での、最後の一手が見事に大当たりし、大同出版は倒産を免れる。それだけではなく、桜井の夢だった文芸出版社としての桜井書店を起ち上げるための準備資金もできた。
「文芸出版というものが極めて経営の困難なものであることを熟知していたからでもある。そのためアパートや貸家をいくつか建ててそのリスクに備えた。その上での新たな、しかし不退転の決意に基づく出発であった。」(桜井毅『出版の意気地』(西田書店、2005年)と、大同出版社の成功で新たな出版社を興すために周到な準備をするだけの十分な利益をあげている。


戦時中としてはかなり贅沢と思われる見事な造本・装丁の桜井書店本は、こうした資金の準備の元に、儲けにはならないことを覚悟しての出帆だった。
大同出版の設立年ははっきりしないが、国会図書館の蔵書を調べてみると桜井書店を設立する前年までに下記のような出版物があった。

幸田露伴『洗心録』 (大同出版社、1928、10)
・勝泉外吉『会議の仕方』 (大同出版社、1934、6 )
武者小路実篤墨子』 (大同出版社、1935)
・渡辺彰平『強制執行手続の知識』 (大同出版社、昭11)
横山作次郎,大島英助編『柔道教範』(大同出版社、 昭11、増訂改版)
・博物學研究所編纂『圖解植物辭典』(大同出版社 、1936、10、五版 )
・杉山謙『電気工事人必携 』(大同出版社 , 昭11)
・富田岩夫『「ひとのみち」の御利益しらべ 』(大同出版社 , 昭和11)
・小林正盛『生かしあふ道 』 (大同出版社 , 昭和12)
・宮島誉『生きた法律犯罪実話と判例』(大同出版社、 昭和12)
・阿波野才次郎『小賣店經營』(大同出版社 , 1937、6)
・大塚政晨『小売店繁栄商略秘訣 』(大同出版社、昭和12)
・阿波野才次郎『コツとチャンスで忽ち繁昌この呼吸でゆけ小売店経営』(大同出版社、1937)
・阿波野才次郎『この呼吸でゆけ小売店経営 』(大同出版社 、昭12)
山下実治『サラリ−マンから千円資本でトテモ儲かる商売秘訣 』(大同出版社、昭和12)
・杉山謙『の知識と修理百般 電気工事人必携 』(大同出版社 、1938)
・伊藤仁太郎『隠れたる事実明治裏面史 』(大同出版社、昭和14)
・堀田捨次郎『増訂剣道教範』 (大同出版社 , 昭和14)

このデータを見る限り、昭和3年には大同出版社の社名を使っていたことになり、春江同を辞職し、独立して最初に設立したと思っていた「山洞書院」よりも先に大同出版社の社名を使っていたようだ。

そして、大同出版の最後の出版物を見てみると
・辻克己編『応用図案文字集』(大同出版社 、1958、重版)
・木原芳樹『応用略画と図案集』(大同出版社 、1958、重版)
・お国自慢民謡と踊りの会編『図解民謡と踊り方』(大同出版社、1958)
・伊藤雅夫『普通大型中型自動車の構造・取扱・免許』(大同出版社、1958)
・渡辺岳神『名詩朗吟集』(大同出版社、1958.10)
・綜合生活文化研究所編『レクリエ−ション辞典』(大同出版社、1958、 21版 )
・辻克巳編著『現代図案カット大成』(大同出版社、1959、12)
・綜合生活文化研究所/編『レクリエーション辞典』(大同出版社、1959)
・辻克己編著『新編増補版 図案文字資料大成』(大同出版社、1963、3 )
とあり、なんと

桜井書店が最後の出版物となる
・滝井孝作『海ほほづき』
里見紝『春鳥』
志賀直哉『夕日』
を出版したのが昭和35(1959)年なので、桜井均は独立したときからずっと桜井書店を閉鎖し出版から手を引くまで、大同出版は桜井書店の経営を支える影武者のように存続させ、実際の利益はこの大同出版で得ていたものと思われる。桜井はこの実用本出版の大同出版について多くを語ることはなかったが、憧れとは別に、いつでも金もうけができる一番得意とするの出版ジャンルだったものと思われる。『レクリエ−ション辞典』が21版とあるのをみてもよく売れたのを推察することが出来る。


桜井の次女・桜井邦子は、その著書『戦中戦後の出版と桜井書店』(彗文社、平成19年)で、大同出版について
「父は以前から桜井書店の傍ら、大同出版の仕事として実用的な本を出版していた。友人の画家、辻克己氏が編した『現代図案カット大成』とか『和英図案文字資料大成』などの一連のものは広告産業が発展してきたこの時期、待たれていた企画であったようでよく売れた。これが売れると父は、ポケットサイズにしてこの図案カット集を出した。これは扱いやすく、年賀状のデザインを考える時など、仕事に関係ない者にも利用しやすいもので、歓迎された。」




誠文堂新光社小川菊松氏は昭和二十八年に出された『出版興亡五十年史』の中で、筆者の知らなかった父の一面と共に、この時期の父について書かれている。
《一昨年は大同出版の別看板も出して、一ヶ月に十数種も新刊を出し、そのくれの十二月には十六、七冊も乱発し「俺は残本整理に餓死するのだ」といいながら、今日も悠々としておられるのは、どんなに忙しくても人員を増やさず、人件費その他の経営費を、増やさなかったからであって……(略)》
 多分この頃の父は、先にあげた種類の本とは別に、戦前期に通信販売で利益をあげた『手紙の書き方』『囲碁の指し方』などの種類の本を一ヶ月に十余種まではなかったと思うが、多数発行したのだろう。」

と、ほぼ四六判1ページを割いただけで、大同出版に付いての多くはいまだに十分には語られてはいない。やはり櫻井家にとっても桜井均個人にとっても、桜井書店はある意味での校正に語り継ぎたい誇りであり、大同出版社は出来ることなら表ざたにしたくないというような気持ちがあったのではないだろうか。


戦前の通信販売や辻克己の大判で分厚いデザインシリーズは大分売れたものと思われる。
この辻の本は桜井書店で編輯されたものではなく、戦前に浩文社から発行された
・辻克己編傑作広告図案大集成(浩文社、昭和9年)
・辻克己編現代図案文字大集成(浩文社、昭和9年)
・辻克己編実際図案カツト大集(浩文社、昭和10年
・辻克己編図案カツト資料大集(浩文社、昭和10年
・辻克己編商業広告図案大集成(浩文社、昭和11年
などに多少手を加えたりはしているが、ほぼ復刻版の出版といっても良い。浩文社は戦後あまり新刊を出していないようで、出版権を譲渡してもらっての出版なのかもしれない。小川菊松が「……人員を増やさず、人件費その他の経営費を、増やさなかった」というのは、このような人手をかけずに出版をしヒットを飛ばしたりすることに長けていたということでもあるのだろう。





写真は
・田上帯雨『応用手紙の書き方』(大同出版、昭和26年)
上から表紙、巻末自社広告2点。
この巻末広告は2色刷りであることや、図版や書物のタイトルデザインをそのまま取り入れて書物のイメージを伝えているなどでアイキャッチャーを巧みに使い、かつて装本に力を入れてきた桜井ならではのアイディアはこんなところでも冴えている。しゃれていて見やすい、見事な広告デザインだ。


私が今まで手にしてきた大同出版社本は全部上製本で一見豪華な作りなのも特徴だ。今日ではこのような実用本が上製本で発行されることはむしろ希なことだ。