しばらくご無沙汰をしておりましたが、本業の方が多忙なことと、講演などで休日も目一杯働き詰めでブログまで手が回りませんでした。そんな中、仕事関連でメルマガを調べる必要があり、自ら体験してみることになり、早速メルマガ「美しい本を楽しむ」を立ち上げました。下記はその第回目の配信データーです。
●書物の化粧(けわい)師・津田青楓の装丁……1
津田青楓といえば、夏目漱石『明暗』(岩波書店、大正6年初版)の装丁家としてよく知られているが、この他にも夏目漱石『道草』(岩波書店、大正4年)など100冊を越える見事な装丁を残している。本名は亀二郎。青楓の号は「やがて赤く染まる青い楓に将来の可能性を託して兄が付けてくれたもの」(『本の本』ボナンザ、昭和51年)という。
青楓の装丁は、自らが「私の仕事は一般読書子の目を引きつけるやうに華やかになっていった。今見るとそれが却っていゝ結果になったやうで、小売店の本棚にあっても著者の誰れ彼を認識させる前に先ず本の装幀で客に呼びかけた。」と語っているように、この時代にすでに店頭効果ということを念頭において装丁していたというのは驚かされる。
「そんなことで装丁をしてもらっては困る!」と、この言葉には反発を感じる人も多いだろうが、じつは私も装丁には、客の呼び込みという役割があるものと確信して作っている。だから私には書店の店頭に立って耳を澄ましていると「ねえねえ、どうですかこの本、ちょっと手に取って読んでみませんか?」という具合の賑やかな売り口上や呼び込み合戦が聞こえてくる。負けずに隣の本も「さあさあここに取りいだしましたるこの1冊。遠からんものは耳にも聴け、近からばよって目にも見よ〜」と、夕やみせまる頃になると書店の店頭は、魚市場やアメ横、あるいは置屋の顔見世のように客引き合戦が賑やかに繰り広げられている。そんな店頭の演出家こそが装丁家なのだ。青楓はそのことをいち早く認識していた希有な装丁家だからこそ、青楓が生み出す装丁作品はひと目をを引く華麗さを持っているのである。
わたしは装丁家やブックデザイナーに代わる呼び方として、もっと尊敬を込めてアルチザン的な装丁家を「書物の化粧(けわい)師」という称号で呼びたい。そして、青楓こそは「書物の化粧師」と呼びたい装丁家の一人である。
青楓の「本と云うものは年中町の小売店の店先に晒しものに並べられるので客の目につき易いやうに派手に描くことが必要になってくる。」(前掲)との言葉はは今日の装丁のありようを予告していたかのようで、けだし名言と言える。
・もう一つの津田青楓の名装丁がこれ!
「別冊太陽 本の美」(平凡社、1986年)に掲載されているからといって、いつまでも『明暗』と『道草』だけが津田青楓の代表的装丁といっていないで、前記のような装丁論を実現させた作品の一つとしてぜひこの全集も青楓の代表作として認知して欲しい。 そこで紹介するのが、知る人ぞ知る津田青楓装丁、鈴木三重吉『三重吉全集第七編 黒血』(春陽堂、大正4年初版)。全13巻あるうちの1冊で、最近の全集にはなかなかみられない、1点ごとに全部装丁が違うという贅沢さも気に入っているところだ。文庫判上製本という小さサイズであるところも小粋で、つい手に取りたくなる可愛いい本である。大胆な構成と図案家された「青い百合の花」がモダンな感じを出してる。
百合の花を選択したのも新しいものを常に求めようとする創作家としての姿勢の現われで、ここで用いられた百合の花は日本古来の花ではなく、文明開化とともに西洋からやって来た、女、昆虫、花などをモチーフにしたことで知られるあのアールヌーボー様式の百合の花のはずである。一見和風に思える青楓の装丁は、よく見るとさりげなく巧みに西洋のモチーフを取り入れている。『明暗』の函に描かれた女性が冠を付けているのにも、日本にはない新しい時代を感じさせるモチーフを取り入れていることを発見することができる。背字・夏目漱石、木版・大倉半兵衛。