【しん散歩(193)…大正14年、田無・総持寺屋根替落成祝賀の行列!】 

【しん散歩(193)…大正14年、田無・総持寺屋根替落成祝賀の行列!】 
写真上=総持寺屋根替落成祝賀の行列、大正14年11月3日(『田無市史』より転載)。総持寺山門に向かう総持寺屋根替落成祝賀の行列 三尊師煉込の光景 山道入り口のアーチは二十日会青年部の手づくり。
写真下=白黒写真と同じと思われる場所、青梅街道沿い西東京市田無町3丁目あたりを2022年1月4日に撮影。街並みはだいぶ変わってしまいましたが、山門と青梅街道の道幅は変わっていない。

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大正14年、田無・総持寺屋根替落成祝賀の行列と、現在の青梅街道沿い総持寺山門

 

田無村にはむかし、密蔵院(旧田無市役所の地)、西光寺(現総持寺)、観音寺(現観音寺境内)の三寺があった。西光寺の住職が尉殿神社の別当も勤めていたが、明治初年の神仏分離令により、尉殿大権現は田無神社と改称して独立した。明治8年村議により、密蔵院と観音院を西光寺へ合併して総持寺と称し現在に至っている。…現住職小峰順誉増正は、第五世で第11代町長も勤めた。(『田無のむかし話』西東京市中央図書館、昭和54年3月初版、平成23年第4版)より転載。

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むかしの総持寺、撮影年不明。(『田無のむかし話』西東京市中央図書館、平成23年第4版)より転載。