消えた旧早稲田通りの名称

【♪シン散歩♪…消えた旧早稲田通りの名称】
1.

 写真1.中央(高橋正雄氏所蔵)の白黒写真は、1964(昭和39)年頃に撮影された西武池袋線保谷駅構内を通る旧早稲田通りと踏切です。この構内の旧早稲田通りは、1964年(昭和39年)に構内踏切が廃止され、橋上駅舎を使用し始めホームが延長された時に、なくなってしまいました。
3点合成写真の上=保谷駅によって寸断された旧早稲田通り。保谷駅北側
3点合成写真の下=都道233号線の交差点から見た寸断された旧早稲田通りと保谷駅南側

 現在は.写真2のようにホームが延長され、旧早稲田通りはホームの下になってしまいました。
2.


 このことが名称が消えた理由なのかどうかはわかりませんが、現在はほとんどの地図上から、富士街道石神井台5丁目の交差点、保谷駅を経由して、終点の新座市・栗原交差点までの「旧早稲田通り」という表記が消えてしまいました。
 しかし、今でも保谷駅北側の下保谷の路上には旧早稲田通りであることを示す、起点からの距離18.8kmを示す距離標(写真3)(18.8km)が残されています

3.


 そもそも早稲田通りとは、「田安門〜保谷街道交点(※栗原交差点)」という道路でした。しかし、1984年(昭和59年)に「田安門〜井草八幡前」に改正され現在の形になりました。この改正によって指定から外れた「杉並区・本天沼二丁目〜保谷街道交点」の区間は、「旧早稲田通り」と呼ばれるようになりました。
 それがいつの間にか富士街道から栗原交差点までは、旧早稲田通りと表記されなくなってしまいました。
 その理由としては、保谷駅によって分断されてしまった道は、旧早稲田通りとしての機能を果たしていないということなのではないでしょうか。そう私は推察しています。