竹久夢二の手描文字…セノオ楽譜の表紙タイトル

竹久夢二の手描文字…セノオ楽譜の表紙タイトル】
 竹久夢二(1884〜 1934年)が描く楽譜の表紙タイトルはほとんどが手描きだが、中でも興味を惹かれるのはキネマ文字との関連だ。文字をデザインすること、いわゆる創作文字とか図案文字に興味を持ち始めたのも同じ頃ではないかな、という仮説を時間をかけても立証していきたいと思っています。



竹久夢二装丁「順禮の合唱歌劇タンホイゼル」(セノオ楽譜、大正12年
竹久夢二装丁「世の態」セノオ楽譜、大正12年



竹久夢二装丁「古歌の思出」(セノオ楽譜、大正13年
竹久夢二装丁「独唱ラルゴー」(セノオ楽譜、大正13年



竹久夢二装丁「死と少女」(セノオ楽譜、大正13年
竹久夢二装丁「夕映」(セノオ楽譜、大正13年



竹久夢二装丁「やまと少女の歌」(セノオ楽譜、大正13年
竹久夢二装丁「西班牙小夜曲 ロリタ」(セノオ楽譜、大正14年



竹久夢二装丁「たそがれの歌」(セノオ楽譜、大正15年)
竹久夢二装丁「ジョセランの子守唄」(セノオ楽譜、大正15年)



今回掲載した数点ではわかるはずもないが、大正13年頃の作品にはそれらしい雰囲気がある。大正12年以前の作品になると微妙に違うかな? という感じがする。
 一方、昭和4年以降にはキネマ文字は使われていないように思える。キネマ文字にははっきりした定義や描き方のルールなどがないので、キネマ文字かどうかをきっちりと判断するのは難しい。


新聞に掲載されたキネマ文字の映画広告(『朝日新聞昭和2年4月20日

キネマ文字の映画広告で埋められた新聞(『朝日新聞昭和2年4月8日)

キネマ文字の映画広告で埋められた新聞(『朝日新聞昭和2年4月21日)
この1面だけでも様々な書体が使われている。このような映画広告に使われた書体全てをひっくるめてをキネマ文字と呼んでいる。





竹久夢二装丁「オリエンタル・ローマンス」(セノオ楽譜、昭和2年
竹久夢二装丁「忍路高島」(セノオ楽譜、昭和2年



竹久夢二装丁「中山晋平謡曲 第14編 旅人の唄」(山野楽器店、昭和3年
竹久夢二装丁「中山晋平謡曲 第1編 青い芒」(山野楽器店、昭和3年



竹久夢二装丁「中山晋平謡曲VI マノン・レスコオの唄」(山野楽器店、昭和3年
竹久夢二装丁「中山晋平新民謡曲 V スキーぶし 雪よふれふれ」(山野楽



竹久夢二装丁「オリエンタル・ローマンス」(セノオ楽譜、昭和2年
竹久夢二装丁「忍路高島」(セノオ楽譜、昭和2年



竹久夢二装丁「中山晋平謡曲 第14編 旅人の唄」(山野楽器店、昭和3年
竹久夢二装丁「中山晋平謡曲 第1編 青い芒」(山野楽器店、昭和3年



竹久夢二装丁「中山晋平謡曲VI マノン・レスコオの唄」(山野楽器店、昭和3年
竹久夢二装丁「中山晋平新民謡曲 V スキーぶし 雪よふれふれ」(山野楽器店、昭和3年



竹久夢二装丁「.緊縮小唄 ビクター民謡曲II」(ビクター出版社、昭和4年
竹久夢二装丁「中山晋平謡曲 第17編 龍峽小唄 」(山野楽器店、昭和4年




竹久夢二装丁「鉾ををさめて」(山野楽器店、昭和4年
竹久夢二装丁「中山晋平謡曲 XXII 琵琶湖シャンソン」(山野楽器店、昭和5年



 つまり大正13年昭和3年頃にキネマ文字風の手描き文字を使っていたのではないかと推察することができる。この期間の装丁のタイトルなども含めた作品をもう少したくさん集めれば、この仮説を確かなものになるはずだ。そして、キネマ文字を初めて手がけたのは誰なのかということもわかってくるはずだ。