西東京市都市伝説…尉殿神社に残る榛名神社鳥居の礎石

西東京市都市伝説…尉殿神社に残る榛名神社鳥居の礎石】
 西東京市住吉町・尉殿神社の参道脇に大きな矩形の石が2つ鎮座している。手洗い鉢にしては水が溜まるところが小さいし、ししおどしの水受けにしても2つあるのはおかしい、と、以前からなんだろう? と不思議に思っていた。

尉殿神社に残る榛名神社鳥居の礎石



尉殿神社参道と榛名神社の鳥居礎石


 そんな謎が、今回初詣に榛名神社(柳沢氷川神社)に参拝したことで一気に解決した。


榛名神社(柳沢氷川神社)境内に建てられた榛名大権現石物群を説明する看板

 榛名神社境内にある看板には
明治元年(1868)維新政府は神仏分離を発令すると、神道による国民教化を目的とし古代の神祇官にならい、伊勢神宮を筆頭に由緒の神社を官幣各社から郷村杜、無格社等と格付けして神社の統治を図りました。明治40年(1907)にいたると政府は、神道教化を徹底するため、村段階では一村一村杜を標準にして他を村社に合祀せよと定め、実質的には神社整理を断行しました。
 このとき旧上保谷村下柳沢集落の鎮守であった榛名神社は、無格社として村杜に指定された尉殿神社に合祀される対象となりました。以来氏子をあげて十年間の果敢な対運動を行いましたが、国家神道にまで強化された政府の宗教政策には抗すべくもく、大正4年(1915)ついに合祀となりました。その後昭和17年(1942)埼玉県浦和市蓮見新田の村杜を引宮したのが現在の氷川神社です。」
と記されており、と記されており、上保谷村の村民たちの尉殿神社に移動された鳥居を奪還する合祀反対運動の実力行使については触れていない。

 詳細はこうだ。大正4年、神社合祀が行なわれた際に榛名神社も市内の尉殿神社に合祀され廃社になった。
 これに対し、合祀されることとなった榛名神社の氏子達は猛烈な反対運動を起こし、警察に盗難届を出して、奪われた鳥居などを取り戻しに行った。そのとき、鳥居は取り返したものの、鳥居の礎石は重すぎて持ち帰れず、今でも尉殿神社の参道に放置されたままになっているのだそうだ。



榛名神社の鳥居。これが取り返してきた鳥居か? よく見ると結構古いように見える。大正4(1915)年に取り返してきたとすると、その時からでも102年経過している。地方に行けば築100年以上の木造建造物はたくさんあるので、100年前から、あるいはそれよりさらに100年前からそこにあったとしても不思議ではない。



氷川神社摂社・榛名大権現と傘付き石柱などの石物群