西東京市市内の尉殿神社、田無神社、東伏見神社、氷川神社(榛名神社)とおみくじを引いて、一番いいのを信じようと思ったが、さすがは神様。どれを引いても似たようなもので、中では榛名神社で引いた写真の中吉が一番いい結果でした。
ちなみに榛名神社は明治時代の保谷在住文学者によって書かれた保谷八景の第4番と第五番に
「四、男坂の眺望(下柳沢〜下野谷川を渡り男坂から眺める榛名神社の黒松) 五、榛名の富峰(榛名神社(氷川神社)の高台より見たる富士)」
とあり、境内に今も残る黒松と、今は見えなくなってしまいましたが、ここから見える富士山が美しかったようですね。
明治元年(1868)維新政府は神仏分離を発令。明治40年(1907)、神道国教化を徹底するため、村段階では一村一村杜を標準にして他を村社に合祀せよと定める。大正4年、神社合祀が行なわれた際に榛名神社も市内の尉殿神社に合祀され廃社になった。
これに対し氏子が猛反発し尉殿神社に移されていた鳥居を奪い返した。そのとき、鳥居の礎石は重くて持ち帰れなかったらしく、現在もそのまま尉殿神社に残っているらしいが、本当かな? 気になるのでそのうち確認に行ってみようかな!
榛名神社の創建時期は不詳だが、江戸時代中期この地域が開拓された際に村民が勧請したものと推察されている。大正4年に住吉町の尉殿神社に合祀されたが、昭和17年に再建。昭和59年榛名社を合祀。境内には榛名大権現の石造物(市指定文化財第38号)
文化4年(1807)造立、浄水盤
文政2年(1819)造立、榛名大権現笠付塔一対
文久2年(1862)造立、榛名大権現礎石
が残っています。
私は、悲しい歴史を不屈の精神で乗り越えてきた、市内屈指の歴史的遺産だと思っている大好きな場所です。