谷崎潤一郎『春琴抄』(創元社、昭和8年)の赤本を100均で見つけた

長年探していた谷崎潤一郎春琴抄』(創元社昭和8年)の赤本(ホルプ出版、昭和47年復刻本)を古書市の100均コーナーで見つけた。



40数年前にセット販売された時は高価な本で、バラ売りでも2.000円位の時期もあった。40数年前の起業してすぐの懐が寂しい時期に、なけなしの金を叩いて購入した本が、100均コーナーにずらりと並んでいるのを見るのはなんとも虚しい。

 7月3日、青山ブックセンターで講演したときは、「春琴抄には黒表紙本と赤表紙本があるらしいが、まだ見たことはありません。」といっていたが、復刻本ながら、やっと手にすることができた。

 『春琴抄』は、谷崎潤一郎による中編小説。昭和8年6月、『中央公論』に発表された。盲目の三味線奏者春琴に丁稚の佐助が献身的に仕えていく物語の中で、マゾヒズムを超越した本質的な耽美主義を描く。

 春琴(本名は琴)は9歳の頃に眼病により失明して音曲を学ぶようになった。春琴の身の回りの世話をしていた丁稚の佐助もまた三味線を学ぶようになり、春琴の弟子となる。やがて春琴は20歳になり、師匠の死を期に三味線奏者として独立した。佐助もまた弟子兼世話係として同行し、我がままがつのる春琴の衣食住の世話をした。
 何者かが春琴の屋敷に侵入して春琴の顔に熱湯を浴びせ、大きな火傷を負わせる。春琴はただれた自分の顔を見せることを嫌がり、佐助を近づけようとしない。春琴を思う佐助は自ら両眼を針で突き、失明した上でその後も春琴に仕えた。佐助は自らも琴の師匠となり、温井(ぬくい)琴台を名乗ることを許されたが、相変わらず結婚はせずに春琴の身の回りの世話を続けた。

赤い本と黒い本は単純に佐助と春琴を表しているようにも取れるが、盲目の二人の世界を表現したのが黒本で、佐助が自らの両目を針で突くマゾヒスズムを視覚的に表現したのが赤本なのではないだろうか? と推察のは深読みしすぎだろうか。
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