幻の軍用軽便鉄道の空撮写真を見つけた!

西東京市都市伝説探検隊】
◉幻の軍用軽便鉄道西武新宿線トンネルから保谷新道との交差点までの空撮写真を発見!

 かつて当FBで、中島飛行機武蔵製作所(現在は武蔵の中央公園)から、柳沢6丁目・西武新宿線トンネルまでのアメリカ軍が撮影した幻と呼ばれている軍用軽便鉄道(※)の空撮写真を報告したが、今回はその続きとなる西武新宿線のトンネルから北進し、新青梅街道沿いに現在建設中のいなげやを通過し、保谷新道を横断、ドラッグストア・セイムズがあるところまでの空撮写真(写真❶)を『写真が語る原爆投下』(工藤洋三・奥住喜重、2005年)に掲載されていた模擬原爆・パンプキンが炸裂した瞬間の写真(1945年7月29日撮影)の一部に見つけた。
 この写真は、B-29を偵察用に改造した写真偵察機F-13に230×450mmという巨大なフィルムを使い地上の広い範囲を撮影できるカメラk−18を搭載し、8,400m上空から爆発の寸間を撮影したたものであが、精度が高いため本来の目的以外の被写体もしっかりと写し出されていた。
写真❶



 米軍が製作した軽便鉄道が記載されている地図(写真❷)と比較してみると、空撮写真の方がより詳しく正確な鉄道路線跡や当時の建物との位置関係、地形などを追うことができることがわかる。
 さらに、等高線のある地図(写真❸)と比較してみると、戦時中の突貫工事で敷設された鉄道といえども、しっかりと等高線に沿って高低差の無いように計測して敷設されていたことがわかる。
写真❷


写真❸



 写真❹は、北海道芦別森林鉄道に1940年まで走っていた機関車だが、軽便鉄道に関する聞き取り調査のデータやイラストなどから、このような機関車が走っていたのではないかと推察する。
写真❹



※)太平洋戦争末期の昭和19年の秋から20年の終戦にかけて1年足らずの間、ひばりが丘・中島航空金属の工場で製造したエンジンブロックを武蔵野中央公園・中島飛行機製作所武蔵工場へ運ぶために敷かれた軍用軽便鉄道。走行期間が短期間だったため日本地図には記載されず、遺構も西武新宿線のトンネル以外にはほとんどみつかっていないないため「幻」といわれている。