幻の軽便鉄道の歴史遺産か?

西東京市都市伝説探検隊▶幻の軽便鉄道の歴史遺産か?】
 ひばりが丘・中島航空金属の工場から武蔵野市中島飛行機製作所武蔵工場まで走っていたが、西武新宿線のトンネル以外にはほとんど物証がないので幻といわれる軍用軽便鉄道

 そんな数少ない軍用軽便鉄道の2つめの物証となるのではないかと思われる境界杭を見つけた【写真】。


 「エ」と側面に刻印してあるのは、国鉄の境界杭なので、以前から西武線の脇にあるのが何となく腑に落ちなかった。
 その後、ひばりが丘-東久留米や中島飛行場-三鷹などの軽便鉄道の跡にも同様の「エ」が刻印された境界杭があることを知り、今回の杭も見たところかなり古いし、軍用軽便鉄道のものではないかと、強く思うようになった。
 もう一本見つかれば、間違いないということを証明できるのだが、全線歩いてみたが、今日は見つからなかった。


追加:軽便鉄道にはどんな列車が走っていたのか? ずっと気になっていたが、なんの手がかりも掴めないでいた。が、芝久保公民館「平和を考える講座」に、手書きの蒸気機関車が描かれているのを見つけた。4両ほどの貨車を引っ張って往復していたという。昔のままで残っていそうな土地をあるけば、路線跡に石炭や路床に撒いたがまだ残っているかもしれないな?


上の絵とよく似た機関車の写真を見つけた。1896年製、松浦炭鉱の運炭線用に輸入したもので、1940年に北海道の芦別森林鉄道へ、1953年廃車になった17号蒸気機関車、走っていた時代もつじつまが合う。こんな感じの機関車が走っていたのかもしれませんね。