幻の軍用軽便鉄道路線の空撮写真を発見!

西東京市都市伝説探検隊▶幻の軍用軽便鉄道路線の空撮写真を発見!】
 戦争末期の1944(昭和19)年の秋から1945(昭和20)年の終戦にかけて、1年足らずの間だが、ひばりが丘・中島航空金属の工場から武蔵野市中島飛行機製作所武蔵工場まで、軍用軽便鉄道が敷かれた期間があった。この路線は軍用鉄道のためか、当時の日本の地図には全く掲載されず、市内在住者でも鉄道周辺の住民でない限りその存在すら知らない人もいたという。線路は集中的に爆破され、私有地を走っていたため終戦後は宅地や畑などに代わり、最近ではその形跡さえ見つけられなくなってしまった。そのため、つい最近まで「幻の引込み線」と言われていた。

 この路線が記された旧米国陸軍地図局が制作した地図【写真下右】が見つかりかなり正確にたどれるようになり、にわかにこの鉄道が話題になり始めてきた。
http://www.lib.utexas.edu/maps/japan.html


 その後、柳沢公民館の入口に飾られている写真の一部に線路が写っているのを見つけ、路線の一部分だがより明確にたどることが出来るようになってきた。


 更に先日、聞き取り調査を元に制作された「想定路線図」(芝久保公民館「平和を考える講座」、平成15年、写真左下)を見つけ、鉄道が動いていた頃の様子をぼんやりながらイメージできるようになってきた。



 この聞き取り地図が掲載されていた「平和を考える講座」に「第21爆撃機集団 目標357中島飛行機株式会社武蔵野工場/工場報告No.1」【写真】という説明がついた不鮮明な写真だが路線がはっきりと記されているのを見つけた。


中島飛行機から五日市街道にでて、柳沢団地の南から柳沢中学校の北側を走り、三角地帯を抜け、深大寺街道を横断し、石神井川西武新宿線を横切る辺りまでがはっきりと読みとれる。 この印刷物の元となった鮮明な写真が見られれば、路線の約半分ほどはしっかりと確認できることになる。
※空撮写真の2点は同じ場所だが、今回見つけた下の写真の方が軽便鉄道の線路が広域に渡って写っている。