三多摩地区が東京府に編入された理由って? これ!

西東京市都市伝説探検隊▶135年前建造の水番所と75年前の写真の風景が昔のままの姿で!】
 写真上は、75年前の昭和15年に撮影された「境水衛所(水番所)」で、水番人が常駐して玉川上水に流れる水量の調節や落ち葉の掃除などを行っていた場所だ。135年前に建造されたとおもわれる「境水衛所」だが今もあるはず? と思い訪ねてみたら、昔の姿のままで未だ健在だった(写真下)。



 玉川上水は、1653年に開堀され、多摩の羽村堰で多摩川からから取水し武蔵野台地の尾根筋を選んで東流。四谷・大木戸に付設された「水番所」(水番屋)を経て、江戸市中へ飲料水を供給していた全長43kmの露天掘り上水(上水道として利用される溝渠)だ。
 1872(明治5)年、船員による玉川上水への放尿事例が多発したため通船が禁止された。これ以降水源地としての三多摩地区の管理の重要性が認識され、1893年東京市街の飲料水汚染防止のため三多摩地区が神奈川県から東京府に移管された。
 三多摩地区が東京府編入された理由が、この玉川上水の水を放尿から守るためだったとはちょっと驚きだ。