東大農場万里の長城に潜む謎を追う!

西東京市都市伝説探検隊☞東大農場万里の長城に潜む謎を追う!】
 東大農場(東京大学大学院農学生命科学研究科付属演習林田無試験地)の東側の境界には、万里の長城ほどではないが、いかめしいコンクリートの塀が、一般市民の干渉を拒否する治外法権を主張するかのようにそびえている。



 昭和4年にこの地に創設された時に建てた境界を示すコンクリートの杭には「帝」の文字が刻まれており、当時の名称であった誇り高き「東京帝国大学農学部林学科田無苗圃」の名残を見ることが出来る。


 この壁をじっくり眺めていくと、塀の高さや柱の太さなどが他と異なる所があることに気がつく。この僅かな違いを見つけることが、塀の持つ歴史の断層が発信するシグナルを聞き取ることなのだ。

コンクリートの柱が、塀の高さを超えているのは、この2本だけなので、やはり怪しい。



柱と柱の間隔も他に比べて広いし、真ん中の狭い部分は既製のコンクリート板では寸法が合わず、急遽短いものを埋め込んだようにも見える。



ここが、現在、新川南支流の源流点といわれているところだが、あまりにも不自然。源流点というよりも、調査隊がここで源流点を見失った場所なのではないだろうか。手前には暗渠が続いており、写真の奥の突き当たりが、東大農場万里の長城と呼ぶ塀がある。


 気になったのは、東大農場万里の長城とも言える塀の南の端の辺りの2本の柱だけが背が高く、ちょうど、かつては門だったのではないかと思われるような間隔で立っている。この門の外側には、新川南支流があり、北原2丁目のバス停から続く暗渠と源流点といわれているポイントがあるが、源流点にしては泉のような水源らしきものが存在していない。つまり、現在の源流点は道路によって断絶され部分で、その続きは、この門を通って東大農場の中に繋がっているのではないかと推察するのだが、この塀の中は立ち入り禁止区域だ。
 塀の内側に沿って川があったのではないかと思われるような小さな谷が、ちょうどその門の内側から塀に沿って南に向かってある。

門の内側には、マンホールのフタがある。これは、門を塞いだ時に、雨水を側溝に流すために作られた排水溝ではないかと推察する。



崖の上では、盛土が行われているようだが、もしかして、窪地を埋めているのではないかと思われる。



手前の低地が川が流れていたのではないかと思う地点です。




昭和34年地図部分、田無市・東大農場。赤丸の中をよく見ると、「原」の文字の右に「↑」が重なっているがわかるとおもいますが、これが窪地を示す地図記号です。左の青でマーキングした部分にも同様に窪地を示す「↑」が記されています。
 赤丸の内側上部の点線(道)の右端が写真の門がある場所か?


この南の端には、かつて窪地があったことが古い地図に示されている。この窪地こそが新川南支流の原点なのではないだろうかと推察する。