歴史のベールが隠してしまった縁切橋・駒止橋

西東京市都市伝説☞縁切りたいなら駒止橋で?】のんびり景色を眺めたり、建物を観察したり散歩をしていると、時折、歴史の断片を見つけることが出来る。その時から散歩は、地理的な散策から、時間的な散策へと乗り換えることになる。1ひら1ひらページを繰るように、取り残された歴史のかけらに思いをよせていくと、そこには思わぬ風景が現れ味わったことのない感動に魅せられる。
 歩き慣れた泉町・フラワー通りだが、道端にどことなく古そうな石柱が倒れているのを見つけた。文字などは書かれていないが、もしかして隠れている面に文字があるのかも知れないと思い、動かしてみようとしたが、びくとも動かない。


町の歴史書によると、この通りは横山道という古道で、ここには「駒止橋」という橋があったらしい。今は川はなく幅2m×深さ1mほどの暗渠になっているが、のぞいてみるときれいな水が流れていた。


 駒止橋にはたくさんの伝説があるが、その一つ「…石橋が横山道を横切っている。ここから南北に鎌倉街道が通っている。そこには東禅寺の弁天池があり、弁天様が祀ってあった。昔、この石橋を馬に乗って渡る者を(弁天様は)容赦なく引き落とした。これを人々は『弁天の業』として怖がった。」という言伝えがある。「…この駒止場所を(通って)嫁入りすると縁が切れるといい、別に『縁切り橋』とよんでいる。」らしく、弁天様はやきもち妬きのようだ。
 もう一つ「…子供達や、商人達もこの街道を通り、墓を横目で見て通った。この墓場はよくすべった。すべってころんだら下駄或いはゾウリなどの履物を必ず片方置いて行かねばならなかった。これを『墓場の掟』といっている」(『多摩の歴史1』(友峰書店、昭和51年)とも伝わっている。
 たくさんの伝説と歴史が眠る駒止橋だが、伝説も橋の姿も新しい道路の下に覆い隠されて、名所だったよすがを知る吉もなくなってしまっているのは寂しい限りだ。