駒止橋の石橋供養塔をやっとみつけた!

西東京市都市伝説▶駒止橋の石橋供養塔をやっとみつけた!】
 1759(宝暦9)年に建立された石橋供養塔だが、昭和39年に発掘され、どこかにあることは『保谷の昔と村人たち』(片桐譲、1999年)でわかっていたが、保存場所が次々と移動してしまい、なかなか実物に出合うことが出来なかった。こんなものを建物の中に保管することはないだろうと、一度は断られた住吉町・東禅寺の境内をくまなく探していたら、片隅の万年塀に寄り添うように立っている「石橋供養塔」を見つけることができた。





 さらに「昭和39年秋発掘の石橋供養塔」(「郷土誌保谷」第2号、昭和40年)には、発掘場所の地図と石碑に書かれている文字の解読が記載されていた。




 元は横山通りにあった石橋供養塔だが、なぜ保谷町6丁目の田柄用水の暗渠脇で発掘されたのか、疑問は残る。そして、石橋に使われていた石材は一体どこに消えてしまったのだろうか?

 駒止橋がどのくらいの規模の橋だったのか知りたいので、絵でも写真でもいいから出て来て欲しい。


▶▶その後、フェイスブックに、山口一成さんから「あの辺の地所は岩崎家だと思いますが?」「ちなみに岩崎家の菩提寺東禅寺です。←確認済み」とのコメントがあった。
 この石碑には11名中「岩崎平八」「岩崎平三」「岩崎瞽女」の3人の岩崎名の寄進者が彫られているので、もしかして、橋を解体する時に、岩崎家のご子孫が譲り受けてきたのかも知れない。
 現在、石橋供養塔が西東京市東禅寺に安置されるようになったのも、岩崎家の菩提寺であることなどが決め手になったのではないかと推察する。