木村荘八:画「カフェー・タイガー」は写真の模写?

結婚式スピーチの原稿量は1分間に約300字位という。講演会の原稿量もこの数字を元にして割り出して準備する。2時間の場合は、10分間の小話を12本用意する。文字量にして3,000字(400字×7.5枚)の話を12話。
 こうすると時計を見なくとも大体の時間がわかる。スクリーン映像も3分ごとに画面を変えるとして36頁用意する。実際には脱線したり、横道にそれたりで、全ての原稿を使いきることはほとんどないが、安心のための保険だね。これってA型の性格? 毎日集中して制作しても約1ヶ月かかりきりになる。


 今日までに『ラグーザ・お玉』『濹東綺譚』などをほぼ完成させ、昨夜は木村荘八『東京繁昌記』(岩波文庫、1993年、初出は『読売新聞』1955年6月〜9月連載の「東京繁盛記」)の表紙絵・木村荘八:画「カフェー・タイガー」について調べる。

木村荘八『東京繁昌記』(岩波文庫、1993年)



『銀座』(銀ぶらガイド社、1927年5月)に掲載された「カフェー・タイガー」


 純粋欧米式大型カフェーのカフェー・ライオン(明治42年に開店)とカフェー・タイガー(大正13年に開店)とが人気を博し、西条八十中山晋平の「当世銀座節」に「♪東京銀座は 恐ろしところ 虎と獅子とが酌に出る」(YouTubeで佐藤千代子の歌が聞ける)と唄われた。そんな最先端のはやりの建物をなぜ荘八は描いたのか、文中には説明がない。「林蘊蓄斎の文画な日々」によると「カフェー・タイガー」の挿絵は実際の建物をスケッチしたのではなく、人物の位置が同じことなどから『銀座』(銀ぶらガイド社、1927年5月)に掲載された写真を模写したものであることがわかる。

木村荘八:画「カフェー・タイガー」(『東京繁昌記』岩波文庫、1993年)