瀬川 康男:絵、『きつねのよめいり』を購入

瀬川 康男(1932-2010年):絵、松谷 みよ子『きつねのよめいり』(『こどものとも絵本』福音館書店、1960年)を購入。瀬川の絵本デビュー作だ。3年後の絵本3作目となる松野正子『ふしぎなたけのこ』(「 こどものとも」87号(1963年6月号)、福音館書店、 第1回ブラチスラヴァ絵本原画展グランプリ受賞)以降にみられるあの躍動感あふれる感じがないところに興味をもっての購入だ。わずか3年間、絵本3点目でのこの画風の変化は、何が瀬川をそうさせたのか? 神降臨があったのか? などなど興味津々だ。


『きつねのよめいり』は、
松谷みよ子の文に辻村益朗のレイアウトで完全原稿の形に仕上げられ、福音館書店の編集者だった松居直のもとに持ち込まれたもの。松居は瀬川の力量を見抜き、『こどものとも』で取り上げることを即座に決めたが、同時に動きと物語性が足りないと直截に指摘もしたという。」(ウィキペディア

瀬川 康男:絵、松谷 みよ子『きつねのよめいり』(『こどものとも絵本』福音館書店、1960年)



瀬川康男:絵、君島久子『つきをいる』(「こどものとも」79号(1962年10月号)、福音館書店)瀬川の絵本第2作。



瀬川康男:画、松野正子『ふしぎなたけのこ』(「 こどものとも」87号(1963年6月号)、福音館書店


こうして並べてみると、画風の変化がよくわかる。絵本としての表現方法を探っていたのだろうか。画風が毎回変わるのは迷いの表れともいるとも言える。


松谷みよ子との出会いについては、ウィキペディアに、次のように記されている。
「1951年、東京芸術大学の受験に失敗し、東京の下宿で浪人生活を送るが、結核に罹患して3-4年間の入院生活を送る。絵はこの間も独学で描き続ける。
 退院して岡崎に戻った後、23歳でふたたび東京に出て結婚し四谷に住む。松谷みよ子と知りあい、1957年瀬川拓男が松谷らと一緒に興した人形劇団太郎座に、活動の一環として子供の絵の会ができると、その指導を手伝うため、太郎座の拠点となっている家に通い始める。瀬川は拓男・松谷みよ子夫妻が再話して刊行する『信濃の民話』(1957年)、『秋田の民話』(1958年)に挿絵を提供。瀬川は太郎座本講演のポスターやパンフレットのイラストを引き受ける一方、福音館書店の雑誌『母の友』にも挿絵を描いている。」