【101冊の挿絵のある本(21)…… エドマンド・ヂュラック、W.ハーヴェイなど『アラビヤンナイト』挿絵いろいろ】
『アラビヤンナイト』は「千一夜物語』ともいう。収められている話のタイトルも時には内容が少し違っていたりすることもある。当然挿絵の背景や登場人物のの服装なども違ってくる。なぜそんなことが起きているのか。そこにはこんなわけがあるようです。
「もともと、『アラビアン・ナイト』は、一人の著者が、最初から読み物として書き下ろしたものでは、なかったのです。アラビアやペルシャの人たちが、おお昔から、口から口へと、長い年月をかけて語りついできた物語をアラビア語に書きとって、本の形にしてまとめたのが、読み物としての怒りです。物語の中には、インドやギリシャなどからつたわった話もあれば、古くは八世紀、新しいものでは十六世紀ごろにできた話もあるので、話の内容や言葉づかいは、同じ物語とはいうものの、語り手によってさまざまでした。おまけに印刷術が今のように発達していなかった時代では、本の部数も限られていましたから、十七世紀の末ごろまでは、この物語集のことはヨーロッパではほとんど知られていませんでした。
このような性質の物語集が『アラビアン・ナイト』あるいは「千一夜物語』という書名で、ヨーロッパばかりか世界中のおとなや子どもに読まれるようになったのは、フランスのガランという東洋学者が、たまたまこの物語集の原点の一つを手に入れて、一七〇四年、フランス語に訳しはじめたのがきっかけです。この本が出版されると、たちまち、フランスはもとよりイギリス、ドイツをはじめ、ヨーロッパの諸国でも大歓迎され、その後、十九世紀になると、ガラン訳のほかに、フランス人マルドリュース、イギリス人レイン、スコット、バートンなどの、別の原典からの訳がつぎつぎに出て、『アラビアン・ナイト』は世界中の共有財産にになりました。日本でも明治八年(一八七五年)に、物語のいくつかがはじめて翻訳され、その後おとな向け、児童向けの翻訳が何種類も出るようになりました。ですから、どの原初から訳したかによって、内容も、言葉づかいも、大なり小なりちがうことになったわけです。」(坂井春彦「あとがき」(『アラビアン・ナイト』福音館書店、1997年6月)より。
ここでは様々なスタイルの挿絵を紹介します。