堂昌一には雅号・春日章(かすがあきら)の名前で描いていた時代があるが、『堂昌一挿絵画集』では全く触れられていない。

ネットで検索をかけると下記の4点だけがヒットした。
・文・矢桐重八、絵・春日章「ぬめ肌女郎」(「裏窓」昭和38年8月号)
・江戸穣次/春日章『生贄・ガ-タ-ベルトの女』(勁文社、1989年05月01日発売 文庫)
・江戸穣次/春日章『令嬢縄処刑』(勁文社、1989年12月01日発売 文庫)
・江戸 穣二 ・著/春日 章「 獣よりも惨めに 」(「グリーンドア文庫―華シリーズ、グリーンドア社
1990初版)


この4冊の発行年をみる限りでも、1963(昭和38)年から1990(平成2)年までの以外と長期間にわたって春日章名を使っていることが分かる。ということは、堂昌一で描く作品と春日章で描く作品を内容で使い分けているものと思われる。


東京銀座ロイヤルサロンギンザにて開催されていたグループ展「艶」や日本出版美術家連盟で一緒だったという某氏によると、SM系の雑誌ではきれいな絵を描くので有名、ということだ。