昭和初期(大正15年12月〜)、改造社から刊行された『現代日本文学全集』(改造社、大正15年)全63巻がすさまじい売れ行きを見せ、30万部売れたとも60万売れたとも言われている。後に春陽堂から発行される『明治大正文学全集』と内容的にバッティングし、さまざまなトラブルが発生し、互いに中傷合戦を行い、後味の悪い結末となった。



装丁:杉浦非水、『現代日本文学全集 菊池寛集』(改造社昭和2年5月)。アールデコを取り入れたみごとなデザインとしも知られている。


現代日本文学全集』に続け、と刊行されたのが新潮社『世界文学全集』全38巻だが、こちらは、対抗する全集がなく、57、8万部売れ、一人勝ちしたと言われている。



装丁:恩地孝四郎、『世界文学全集』(新潮社、昭和2年


新潮社が『現代日本文学全集』の成功を見て直ぐに円本全集発行に対応できたのは、それまでに『世界文学全集』定価=弐円五拾銭を刊行していたからだ。定価が1円になっただけではなく、判型がやや大きくなり、本文も2段組になって、内容量がふえている。翻訳もやり直しており、大部読みやすくなっている。これは確かにお得だ。



改訂前の『世界文学全集』(新潮社、大正11年)。四六判よりやや小さな本ではあるが、輸入したブッククロスを使っており、当時としては可なり豪華で高級感あふれる造本といってもよいだろう。函も「貼り函」といって、ボール紙の芯の外側に紙を貼って組み立てる、手間のかかる高価な作りの函だ。


下記の広告は、全面広告の一部を拡大したものだが、大正時代に刊行された本を改定したというような内容の広告で、かつての購読者・リピーターを再度呼び込もうとしている意図が伺える。


装丁を改めたことについても「■装幀が改まつた■ 一切満足だが、唯一つ、表紙の背の色は面白くないから考えて呉れという希望に少なからず接した、あの表紙の體裁は事實を云ふと獨逸の『世界文學小説叢書』を模したもので可なりハイカラのつもりではあるが、日本では果たして喜ばれるか何うか。若干の懸念を持ってゐたので躊躇せず改める事とした。即ち従来の背の黄濁色に代へるに、感じの柔らかな、萬人向きの薄茶色の布を以てし、書名の下には清新の花模様を刷り込み、思ひきって體裁を一變して仕舞つた、一冊手にとって見ても勿論よいが、殊に三十八冊列んだところは、全くホレボレする程立派で、感じがよくて堂々としてゐる。市内十数ヶ所の書店、及び大呉服店に陳列してあるから、どうか御覧ありたい、これならばどなたも御満足が出來ることゝ思つてゐる。」と書いてある。
呉服店でも販売していたというのは面白いですね。場所をとるので、大きな店舗の呉服店に置いてもらったのだろうか。



万人好みに変更された新しい『世界文学全集』表紙。こちらの方が経費がかからず、安く作ることが出来たのだろう。箱も安価なホッチキスで止めたボール箱に変更され、安価本への対策が至るところに施されている。



下記の広告の一部分を拡大したもの。この広告がでた頃はまだ第一回配本が始まったばかりで、全巻がそろっているわけではない。この写真のために全巻のダミーを作ったのだろうか。気のいれようがすごい。


新潮社『世界文学全集』全38巻新聞広告(東京日日新聞昭和2年2月22日)
新聞の見開き広告をスキャンするのは結構大変だ。A4サイズのスキャナーなので8回もスキャンニングしなければならず、更に、これらの水平垂直がしっかりとれていないと、つなぎ合わせた時に、つなぎ目の文字が読めなくなってしまうなど、神経を使う。時間もかかる。


さらに平凡社が『現代大衆文学全集』全60巻を刊行。1巻1000頁で1円を売り物にしたような部厚い本で、これも、25万部の予約を獲得した。この全集は挿絵がたくさん入っているので私は全巻所有している。



『現代大衆文学全集 大佛次郎』(平凡社昭和5年



『現代大衆文学全集』全60巻新聞広告(東京日日新聞昭和2年2月25日)


当時、力のある出版社はことごとく円本全集を出して競い、そのなかでも成功したのがこの三全集です。