「これはすごい!」と叫びたい『図案文字大観』

POP[Point Of Purchase] などレタリングをやったことがある人なら理解してもらえると思いますが、たとえば「地上の楽園」と書いてある文字を見て、それと同じ書体で「本日大売り出し」などと書くには、それなりの訓練が必要で、一朝一夕にはできるものではない。




そんなときこの
・矢島周一『増補改訂図案文字大観』(彰文館書店、昭和3年、初版=大正15年)のように「2013字、10体」つまり、10種類の書体でそれぞれ2013文字の見本が書かれていたら、こんなに便利なことはない。手書き図案文字など全くの素人の商店の主でも、見よう見まねでちょっとしたポスターが描けてしまうような気にさせられるに違いない。


そんなふうに思った人がたくさんいたのだろうか、増刷の勢いがすごい。

大正15年3月25日発行
大正15年6月10日再版発行
昭和2年3月15日3版発行
昭和2年6月5日4版発行
昭和3年10月10日5版発行
とある。
さらに売れ続けて、
「1934年の時点で増訂9版にまで至っていますから、描き文字界のベストセラーともいえます。(「描き文字考」より)」と、当時の人気のほどが窺われる。(’09年になってから、昭和14年8月1日発行の11版を入手した。)


漢字だけではなく、「仮名文字48文字103体」「羅馬字・数字63字76体」も巻末に付いている。まさに鬼に金棒の書体集だ。





それにしてもこれだけたくさんの書体を考え、これだけたくさんの文字を描くなんて、とんでもない根気の持ち主だったに違いない。どれだけの期間で書き上げたモノなのか、これだけの字数をただひたすら書く労力だけでも人並みはずれた超人的と思わざるを得ない。ただ脱帽するしかない。石版2色刷りで、文字の背景に方眼が印刷されているのも、読者が文字のバランスや特徴をつかむためのツールを提供するというアイディアが優れている。購読者へのサービス精神にあふれているところも、ヒット商品になった一因に違いない。


著者の矢島周一については「描き文字考」http://www.screen.co.jp/ga_product/sento/pro/typography2/hk01/hk01_9.htmに詳しく記してあるので、引用させてもらうと
「 矢島周一(1895〜?)は、岐阜の出身で1915年頃、大阪の西濃印刷に入社、描き版工からスタートして、22年には独立して大阪西区に「ヤシマスタジオ」を設立しています。20年代後半になると「ヤシマスタジオ」は、多田北烏(ほくう)(1889〜1948)が主宰する東京の「サンスタジオ」とともに、「東のサンスタジオ、西のヤシマスタジオ」と呼ばれるまでに成長します。矢島は団体活動にも積極的で、28年1月結成の「大阪商業美術家協会」に参加したり、30年4月結成の「大阪印刷美術協会」の相談役に就いたりと、草創期の大阪デザイン界を担った人物です。」とある。