忠弥の最初の装丁は?

忠弥の最初の装丁については、岩手県で開催された岩手県ゆかりの8人の装丁家(栗木幸次郎、高橋忠弥、松本俊介、前川直、船越安武、村上善男、五味清吉、萬鉄五郎))の装丁展図録『本の装い』(岩手県立博物館、平成11年)を見ると、1937(昭和12)年『詩抄蟻』が一番最初となっているが、これは自費出版である。


さらに『熊』第1巻第1号(森惣一、1938年)、笈川均『詩集 横田家の鬼』(平沢節子、1938[昭和13]年)、山内透『詩集 山神祭』(1940年)などが記載されているが、これらも自費出版や同人誌の表紙とおもわれ、いわゆる出版社名が記されている商業出版物の装丁を初めて手がけるのは、「三藝」(三藝書房、1940[昭和15]年)、森荘巳池『店頭』(三藝書房、1940[昭和15]年)となっている。美術家略歴の欄には「13年頃から装幀や外装を数多く行っている。」とあり、『詩集 横田家の鬼』を最初の装丁としているものと思われる。
『詩集 横田家の鬼』は古書価10万円もするので図録で確認するだけで、入手するのはあきらめた。


私の本棚から一番古い忠弥の装丁本を探してみると、葉山嘉樹『海と山と。』(河出書房、1939[昭和14]年)だった。装丁についての知識があまりない時期のせいなのか、自分なりの判断で描いたのだろう。扉絵のつもりなのだろうか常識に左右されず見返しにもタイトル等が入っていて面白い。


それにしても小学校教員をやめさせられたのはおそらく政治的な発言が随筆「教官記」にあったのだろうと推察するが、最初の装丁作品がプロレタリア文学運動『文芸戦線』派に属し、その代表的な作家として活躍した葉山嘉樹の作品という。