佐野繁次郎の装丁本と文字

今日は、出勤途中の新宿サブナード古書市を開催していたので、ちょっと寄り道をしてしまった。佐野繁次郎の装丁本2冊と横光利一の『機械』の月報が付いている全集、さらに装丁が気に入って衝動的に購入してしまった『池谷信三郎全集』(改造社昭和9年)、開高健『夏の闇』(新潮社、昭和47年)などを購入。


下に掲載下2冊、横光利一旅愁』〈改造社、18年)も源氏鶏太『定年退職』(朝日新聞社、昭和38年)も所有しているが再度購入。『定年退職』は、布の上にボタンが置いてあるのがなんとも愛くるしいよね。寒冷紗の上に書いた♂あるいは♀の記号のようなものは、なんだろね。ここにもみごとなフリーハンドの一発書き文字が見られる。




『池谷信三郎全集』(改造社昭和9年)はこれ1冊で全集なんだよね。池谷との第一高等学校文科甲類での同級生に川上太郎や村山知義がいたというから、すごいよね。この本は共同生活していたこともあるという川端康成横光利一などのほか中河与一、菅忠雄、石濱金作、池谷恵美子によって没後100日目に刊行されたまんじゅう本のようなものか。


このモダンな装丁に胸キュンして購入してしまったんだが、誰の装丁なのかわからない。扉には署名があるが、この署名が解読できない。この絵のタッチには見覚えがあるんだが、なんとももどかしい。後日解読します。




開高健『夏の闇』(新潮社、昭和47年)特装本も装丁家がわからない。表紙にも扉にもオリジナル水彩画が付いている。500円なので購入。しかし、こう解読できない署名が続いて登場すると、自称署名研究家もメンツない。





佐野繁次郎の手書き文字の話

今日も最初にアップした佐野の手書き文字と、下記に掲載した3冊の書籍のタイトル文字も、いずれも手書きの文字であることには変わりない。でも、何かが違う。どこかが違う。


今まで、見てもらってきた文字は、書道のように一気に書き上げる文字で、気に入らないからといって、部分的に修正を加えたりしないのを特徴としている。かすれてしまったからといって、そこの部分を上から手を加えたりしてはいけないのが書道の書道たる所以だ。そんな書道ののもつ自由な神髄を取り入れているようにも見える。





横光利一旅愁』(改造社、18年98版、初版は15年)、石川達三新日本文学全集 石川達三』(改造社昭和16年初版)のタイトル文字は、使用する道具などは違っても看板の文字と似たような工程で創作される。
つまり、定規やコンパスなどの器具を使い、修正を加えながら輪郭線を完成させ、後に輪郭線に囲まれた部分を塗りつぶす。この試行錯誤を繰り返しながら創作する工程が書道との大きなちがいなのだ。


さらに、これらの二つのタイトルには明朝体と呼ばれる活字文字のような特徴が見られる創作文字だ。明朝体とは、筆文字を基本にしており、それれの特徴を組み入れて定型化した文字だ。
つまり、垂直の字画は太く、水平の字画は細く、水平の字画の一番右の部分には三角形の「止め」をつける。その他「はね」「払い」などの筆文字にみられるような特徴がある。


佐野の装丁では、この明朝体の創作文字と呼ばれるタイトルは、あまり見られない。佐野の装丁の中では、数少ない題字の表現様式といえるだろう。


さらに、一番下の岸田国士浅間山』(白水社、7年)になると、この手の正方形の中に活字をトレースしたかのような題字は、佐野の装丁ではほとんど見られない。


本当に佐野が書いた題字なのだろうか? と疑いたくなる。「装幀 佐野繁次郎」との記載はあるが、装画だけなのではないだろうかと思える節があり、ちょっと断言しにくい。この件については後日また考えてみよう。