「機械」題字は横光利一の文章表現の延長

工業生産された機械そのものと横光の小説『機械』の両方が重層的に示す意味を図象表現しようとする意識が、創作文字という表現方法を探らせたのであろう。つまり、小さなパーツが組織化され一つの総合体として構成されているというような、実在する機械が有するイメージが、意味を視覚的な形へと導き重層表現させているのである。


工場という器と、工場内でうごめく人間関係や力関係、感情の揺れなどを、機械のパーツとともに連動する一つの組織としての機械を「機械」という2文字で図象形象化したのが、佐野繁次郎によって描かれた題字なのである。つまりこの題字は内容としては完全に文章の延長上にあり、横光の表現の延長なのである。



白水社版『機械』の函及び表紙の装丁についても、書き文字同様に横光の慎重な選択があったものと推察する。


今ではかなわぬ事となってしまったが、近代科学の最先端を象徴する飛行機の中で人間のありようを確認しようとし「人間的機械論」の実践を喚起させようとした「鳥」を横光利一アートディレクションの装丁で見てみたかったものである。『時計』の表紙の資材よりは、この作品にこそまさに軽金属・ジュラルミンを装丁資材として選択し、書物を梱包するにふさわしい資材選択の必然性があったのではないだろうか。



「鳥」が発表された昭和5年から、軽金属(ジュラルミン)を表紙にまとった創元社版『時計』が発行される昭和9年までは、「人間的機械論」が文章からビジュアルデザインの領域にまで広がるのに必要な時間の経過だったのであろう。