こんな失礼な追悼号が!

shinju-oonuki2005-11-04

 
頒布者坂本篤『以茂随流 終刊之巻 はだかの昌三』(有光書房、昭和37年5月)文庫判88ページの巻頭言「『いもずる』終刊に際し」には、坂本篤によって下記のような発刊の経緯が記されている。

《齋藤さんの生んだ『いもづる』も昭和十六年以来永いこと休刊しています。この『いもづる』には、私が温古書屋と称していた大正末期から昭和にかけて三冊頒布の責任をもち、また『芋蔓草紙』などを刊行した関係もありますので、この際『いもづる』の最終刊号として、趣痴・酒痴・女痴多岐に亘るこの方面の齋藤さんの偽わらざる『はだかの昌三』を描いておきたいと、齋藤さんの言葉ではないが善友・悪友を語らって、ここに纏めてみました。

齋藤さんは、先生母袋未知庵氏の死を悼むに『川柳しなの』誌上で「失礼な追悼」として同氏とのいきさつを書かれました。齋藤さんがこの号を見たら『こんな失礼な追悼記があるか!』あるいは『こりゃ、やったな!』と云われるか、さてさてどっちでしょうか、いずれいつかは、あちらの世界でお小言を頂くと覚悟の腹をきめています。

忙しい中をご執筆下さった皆さんに厚くお礼を申し上げます。齋藤さんからのお小言は一切私が承ります。》と、21年間も途絶えていた「いもづる」の最終刊号を刊行するに至った経緯を書いている。前回紹介した坂本篤補注、斎藤昌三『36人の好色家』(坂本篤、昭和48年)も、昌三没後12年目に坂本篤の補注を加えて発行されている。
 
なぜ「いもずる」が昭和16年以来途絶えてしまったのか、その辺が語られずに、なぜ、昌三没後に2冊の本を刊行したのか。追悼集といってはいるが、私には、どこか腹いせに発刊したかのような印象が残る。この巻頭言からも、親しさから来る、暴露話ではなく、死人に口無しとでもいうような、どことなく読後感の後味の悪さが残る。
 
坂本は、「大貫伸樹の造本探検隊15」でも書いたように、山中笑『共古随筆』(温故書屋、昭和3年)の発行元でもある。この本やゲテ本にまつわる話も独自の論点で批判的に述べている。「いずれいつかは、あちらの世界でお小言を頂く」といっているのには、やはり死人に口無しで、言いたい放題言っているようにも受け取れる。