【絵筆散策西東京(1)……看板建築・浦安(保谷町・柳沢商店街)】

【絵筆散策西東京(1)……看板建築・「浦安」(保谷町・柳沢商店街)】
ずっと気になっていた、一見、三階建風の建物・看板建築に憑かれたように惹かれてしまい、水彩画で描いてみようかな、と思いたち、とりあえず1枚目を描いてみました。A4サイズで描いていますので、アップした作品を私のパソコンで見る限り、原画より大きくなってしまい、アラが目立ってちょっと恥ずかしいです。久しぶりの水彩画でなかなか調子が出ませんが、描いていくうちにだんだん良くなってくると思いますので乞うご期待です!
 これからは、西東京市市内にある「看板建築」を10日に1枚くらいのペースで描いていけたら、1年で「西東京市看板建築36景」ができるかな? なんて夢も同時に描いています。
 

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看板建築(1)…浦安(西東京市保谷町) A4、水彩画 2020.8

看板建築(Billboard Architecture)……「看板建築」とは、建築家・建築史家の藤森照信命名した、店舗兼住宅の一形式である。その多くは関東大震災後の復興期に突発的に現われた木造2-3階建の建物で、その正面だけを銅板やモルタル、タイル、スレートなどの耐火素材で覆い、装飾した町家のことを言う。建築物でありながら、商屋のファサード自体が屋外広告と化している。このファサードは「看板」という文字通り、一枚のキャンヴァスに見立てられ、民衆の手による表現の場となった。それにより素人から芸術家までの表現の参加を可能にし、アノニマス(※匿名)な庶民住宅、民の芸術が生まれた。この点に注目した藤森が1975年に日本建築学会大会で発表した「看板建築の概念について」は、日本近代におけるいわば「建築家なしの建築」を気づかせた、意義深い発信であった。このように「看板建築」は、伝統的な町家にそれとはまったく違う異物が取り付く構成上のおもしろさがある一方で、異物であるファサードの上には、多種多様で、時に風変わりな装飾が展開されるというおもしろさもある。「看板建築」に様式という言葉を用いるなら、レヴェルの違う二種類の様式が使い分けられている。そして二つの様式レヴェルは、互いにぶつかり混乱しない程度に距離をおいて記述されている。藤森は「看板建築」を、明治期に途絶えたかに見える、擬洋風建築の伏流として捉えていた。一方、村松貞次郎はこれを、民の活力によって生み出された擬洋風建築の再来として捉えず、大正9(1920)年の市街地建築物法の流れを汲む、木造建築の防火策の結果として位置づけられるものだとしている。(「Artwords(アートワード)」著者: 細川大貴[大阪市立大学倉方研究室])より転載。