【101冊の挿絵のある本(18)…… 初山滋(1897-1973 / 東京生まれ):挿絵、浜田廣介『キリスト物語』(富山房、昭和5年)の挿絵を紹介します。】この本には120点ほどの挿絵が入っています。大正期の新興美術運動の影響を受けていると思われる初山の挿絵が見事です。今回はその中から30点を紹介します。架蔵書には表紙、見返しがないので、1982年12月の新装改訂版を使用しました。
120点ほどの挿絵のどの作品も素晴らしく、全点を掲載したいくらいです! 1982年12月の新装改訂版は2.300円ですので、ご興味を持たれた方は是非購入してご覧ください。
◉初山滋略歴
明治30年7月10日東京浅草田原町に生れた。本名初山繁蔵。浅草田原町田島小学校を卒業、明治40年、神田今川橋の染物屋・宇佐美に奉公。染物下絵で才能を示し、日本橋・三越の新柄募集で一等になる。明治44年井川洗崖に弟子入りして風俗画や挿絵の指導をうけた。大正4年、巽画会に出品し、『盲人と春』が銀賞となる。文部省展覧会にも出品するが落選し、以後タブローをやめる。 大正5年、歌舞伎役者・阪東秀調のもとで世話になり、鉄砲を覚える。6月、「少年倶楽部」の口絵に、出版物で最初の作品となる『月下悲曲』が初山田之助の名で採用される。大正8年、「おとぎの世界」創刊。嘱託社員となり、毎月表紙や口絵を描く。創刊号では初山田之助であったが、第二号から滋のサインを使う。11月、十五、六人の同志とともに劇団美術座を結成。大正13年、橘銀行頭取の娘・西川澄子と結婚。北豊島郡長崎町に移る。昭和2年、武井武雄らとともに日本童画家協会を結成。昭和10年、傑作集『初山滋童画集』を刊行。澄子と離婚し、子供らとともに板橋区大谷口町に転居。昭和17年、名雪しづと結婚。昭和21年、日本動画会が創立され以後、15年間委員として活躍。
昭和5年頃から木版画の制作もはじめ、個展や日本版画協会展で作品を発表した。昭和35年には、スイス、ルガノ国際版画展に出品した。42年6月、童画「もず」(詞:古倫不子、曲:諸井誠、至光社絵本)で国際アンデルセン賞の国内賞を受けた。41年、紫綬褒章、第一回モビール児童文化賞受賞。45年、勲四等旭日小綬章を受章。48年、永眠。