笹沢佐保「木枯し紋次郎」の挿絵などで知られる挿絵画家・堂昌一(1926年〜)のさし絵デビュー作はなんだろうか? と思い、『堂昌一挿絵画集』等をめくってみたが分からない。こうなるとついむきになって調べようとする欠点ともいえる性格が頭をもたげる。



堂昌一堂昌一挿絵画集』(ノーベル書房、平成4年9月)

この本に掲載されている一番古い作品は、杉本苑子「汚名」(「毎日新聞」1961.3)、堂昌一35歳の時の作品とあるが、これは間違いで「汚名」は1991年に発表されている。この画集では笹沢佐保「日暮妖之介」(「週刊小説」、1972年)が一番古く、堂46歳のときの作品で、それ以降に創作された作品が掲載されている。代表的な作品を選択するとおのずと若い頃の作品ではなく、年齢的にも気力・技術ともに成熟した年齢の作品になるのだろうが、個人史や作品歴が分かるように構成してもらえるとありがたいのだが。遅咲きの挿絵画家といわれる所以もこの辺からくるものと思われる。



堂昌一:画、笹沢佐保「日暮妖之介」(「週刊小説」、1972年)



堂昌一:画、笹沢佐保「日暮妖之介」(「週刊小説」、1972年)


そうは言っても、戦後まもない頃に挿絵の世界にはいったものと推察されるが、その頃の作品も見たいし、堂昌一のスタートとなった作品を知っておきたい。
架蔵書で一番古い堂の挿絵は戸川貞雄「私刑」(「にっぽん読切小説読物」日本社、昭和27年12月)。堂26歳の作品だ。


堂昌一:画、戸川貞雄「私刑」(「にっぽん読切小説読物」日本社、昭和27年12月)



堂昌一:画、戸川貞雄「私刑」(「にっぽん読切小説読物」日本社、昭和27年12月)



堂昌一:画、戸川貞雄「私刑」(「にっぽん読切小説読物」日本社、昭和27年12月)


堂昌一挿絵画集』に記載されている「作者略歴」によると
1926年 東京に生まれる
1941年 本郷絵画研究所に学ぶ
1944年 大東亜戦争美術展、聖戦美術展出品、陸軍美術協会会員
1974年 岩田専太郎氏死去により「週刊文春」連載中の松本清張作「西海道談綺」の挿絵を引継ぐ
1984年〜86年 森村誠一作「忠臣蔵週刊朝日
1989年 三友社「生きよ義経
1989年 多岐川恭作「春色天保政談」
1991年 杉本苑子「汚名」毎日新聞夕刊

とあり、岩田専太郎の後を継ぐ以前の作品については触れていない。