幻の千川上水第三取水口をさがせ!

西東京市都市伝説探検隊▶幻の千川上水第三取水口をさがせ!】
 西東京市の南端にある玉川上水・境橋下流取水口から分水して始まる千川上水は、江戸時代・元禄9年に開通し、水の少ない沿岸20カ村の潅漑用水として田畑を潤した。その後、明治初期までは廃止再興を繰り返したが、明治期になると工業用水としての使用が始まり、紡績工場、兵器工場、大蔵省印刷局などの千川上水への依存が高まり千川の寿命をのばすことになった。
 上水(呑用)としては、明治13(1880)年に岩崎弥太郎らによって千川水道会社が創設され、自然流下の水道が復活、1970(昭和45)年まで水道用水として利用されてきた。
 玉川上水から取水するために作られた千川分水口は現在でも3ヶ所の現存が確認されている。
 一つは、1966年に境橋下流に建造されたもので現在も使用されている。



 二つ目は、以前紹介したことがあるが、現在の取水口より前に使われていた取水口で、明治4年に(1871)年に分水し、新橋と曙橋の間に今も昔のままの美しい姿で残されている。この取水口から境橋横の開渠部まで約600mは玉川上水と平行して五日市街道の下を暗渠として流れていたらしいが、今は暗渠はなく、写真下中の突堤、取水口、巻き上げ式の水門、取水堰しか残っていない。



 三つ目は、更に上流に今も残されているが、『千川上水』(昭和16年の調査書)には記載がない。記録上は幻の取水口になっている。「玉川上水路略図」(明治31年)を見ると、「二つの分水口は、上流が『千川上水下流にあるのは『千川用水』」と記されており、この取水口からは飲料水が分水されていたことが分かる。この上流の「千川上水」が、今回訪ねた幻といわれた千川上水取水口だ。


突堤の内側には土砂が堆積し、水門もほとんど埋もれてしまい、僅かに巻き上げ機のシャトルが草むらの中に認められるだけだった。