『濹東奇譚』木村荘八と永井荷風が同じ風景で競作

東京ステーションギャラリー木村荘八展」をみてから荘八の挿絵・装丁がマイブームになってしまい、昨夜、本棚にある荘八関連本約70冊ほどを持ち出して「木村荘八関連架蔵書一覧」を制作。ついでに『女性三代』『現代風俗帖』『大衆文学研究』などをパラパラと読みながら『濹東奇譚』を眺めている。

木村荘八:装丁、木村荘八『随筆女三代』(河出書房、昭和31年)



永井荷風:装丁、永井荷風『濹東奇譚』(岩波書店昭和12年

 荘八は「濹東奇譚」の挿絵制作にあたり、きぬ夫人の献身的な協力について「当時私よりも亦一層彼女はその時の絵の仕事に熱を上げて、多分彼女は百回以上原稿を読んだことでしょう。そして毎日、昼間の中に玉ノ井を実地踏査して来て、日くれに僕と連絡しては、第何回の何は何処、何番地はどこの横丁をどう曲って……という報告を取り交わします。それによって私は毎夜毎、嚢中を探るように、材料の土地を写すことが出来ましたから、この大物との取組も、どうやら失態なしに済んだと思っております。──亡妻があったので初めて私に出来た仕事であります。」(『現代風俗帳』東峰書店、昭和27年)と、感謝の弁を記している。奥さんに感謝なんて、なかなか言えませんが、没後とは言え偉い!夫唱婦随のたまものだったんですね。


下記の画像2点は、同じ寺島町の溝際の伏見稲荷大明神があるあたりを木村荘八は挿絵で、永井荷風が写真でそれぞれが表現したもの。

木村荘八:画、永井荷風『濹東奇譚』第六章(岩波書店昭和12年)、
「わたくしの忍んで通ふ溝際の家が寺島町七丁目六十何番地に在ることは既に識した。」



永井荷風:撮影、永井荷風『濹東奇譚』復刻版126p(東都書房、昭和31年7月、元本は私家版『濹東奇譚』昭和12年4月発行)


 東都書房版『濹東綺譚』は、永井荷風昭和12年1月に築地の京屋印刷所に100部注文したが、注文した条件が全く実行されていないので注文を取り消したといわれるもので、比較的出来の良い5、6部だけを選んで知人に配布したといわれている。しかし、後日、見知らぬ男が署名を求めて私家版を持って訪ねてきたので、入手先を訪ねると書物展望社で購入してきたことが判明。20年後に、印刷所との間にはいっていた企画者・広瀬千香女に宛てた荷風からのおしかりの手紙と一緒に『濹東綺譚』の一部の原稿が質屋から発見された。生原稿は質屋に入れられ、注文取り消しになり納品出来なかった刊本50冊ほどは横流しされたようだ。その横流しがあったおかげで、荷風の写真入り『濹東奇譚』は復刻の日の目を見ることが出来たのだから、ありがたい話だといったら、荷風は怒るだろうか?