ネットで購入した「さしゑ」第2号(『名作挿画全集』2巻付録、平凡社、昭和10年8月)、「さしゑ」第5号、「さしゑ」第9号が届いた。これは今まで紹介してきた挿美会が刊行した「さしゑ」と全く同じタイトルだが、これとは何の関係もない平凡社から刊行された書物『名作挿画全集』の付録だ。『名作挿画全集』は、古書市などでもよく見かけるが、この付録版「さしゑ」が付いているのはほとんどない。ましてや全12巻揃えるのはかなり難しい希少資料といえる。



『名作挿画全集』2巻(平凡社昭和10年8月)と「さしゑ」第2号(『名作挿画全集』2巻付録、平凡社昭和10年8月)


「さしゑ」第5号、「さしゑ」第9号


今回は、この中から富永謙太郎「内あけ話」(『名作挿画全集』2巻(平凡社昭和10年8月)を転載させてもらおう。なお、この全集は、雑誌や新聞に連載された挿絵を流用するのではなく、この本の為に描きおろしているのが特徴で、富永は、いちど連載で描いたものに再度挑戦して描き直している。新聞などの挿絵では大きさや印刷表現での制約などがあって、挿絵画家にとって必ずしも満足のいく絵とはいえないものを、この全集では納得のいくまで描き直している。


アメリカのあるさしえ画家が、刊行の途次日本を訪れて、「日本の挿絵家は化物だ。制作する速度が恐ろしく早くって、そして作品がまたとてつもなく廉い。驚嘆に価する。」と賞めたのかけなしたのか解らない言葉を吐いたが、流行作家になると二三の新聞や雑誌に契約して週何千弗(ドル)かになる彼等から見て驚かれるのも無理はない。


近来は日本の挿絵界の社会的地位も高くなり、一流の芸術家もよき作品をどしどし描いて斯界に参加してゐるがまだまだ世界的レベルに達したとは言い得ないであろう。
 この名作挿絵全集のやうな出版物が、どしどし何萬と賣れるやうになれば、挿絵家も良心的なよい仕事が出来て、斯界を向上させることも甚だ大だと云わねばならないが、忙しい間に合はせ仕事に終始してゐるやうなことでは遺憾に堪へないのである。


私は、この全集には、菊池寛氏の名戯曲『父帰る』の挿畫を描くことにした。出来の如何は大方の批判にお任せするとして、私としては、今までにこの戯曲が或いは上演され或いは映畫になり、好評うけたにかゝはらず、未だ曾て繪物語になったことがなかったし、又内容に似たやうな事件が私の身邊に起こったこともあるのだし、且又、私が挿畫界にでる為には、菊池氏に非常な恩義を受けた等々の様々な理由から、この戯曲を選んだのであった。


私としては、この作品は、感激を以て制作したものの一つであらう。挿畫家としては出来るだけ自由にイリュージョンを働かし、殊に身投のシィンなどは原作にはないのだが、創作して見たのである。(つづく)



富永謙太郎:画、菊池寛父帰る」(『名作挿画全集』2巻、平凡社昭和10年8月)



富永謙太郎:画、菊池寛父帰る」(『名作挿画全集』2巻、平凡社昭和10年8月)



富永謙太郎:画、菊池寛父帰る」(『名作挿画全集』2巻、平凡社昭和10年8月)



富永謙太郎:画、菊池寛父帰る」(『名作挿画全集』2巻、平凡社昭和10年8月)