1912〈明治45〉年、日比谷図書館において杉浦非水の装幀本による「書籍装幀雑誌表紙図案展覧会」が開催された。個人の作家による装丁展は、おそらくわが国では最初のものとおもわれる。「当時装幀の仕事は、画家の副業というイメージでとらえられ、一段低く見られがちであった。制作への真摯な取り組みやこのような展覧会の開催によって、非水は図案の仕事をファインアートと比肩しうる新たな芸術の一ジャンルとして確立しようとしたのだ。」(「“図案”への目覚め」『杉浦非水の目と手』宇都宮美術館2009年)装幀にかける意気込みのほど


展示の下の部分には、一点ごとに額装した印刷物が見られるが、この辺にも非水の印刷複製物を油絵などの1品制作の芸術品と同じように扱うというような意図が感じられる。



写真1

写真2 「書籍装幀雑誌表紙図案展覧会」於:日比谷図書館階下、1912〈明治45〉年、「非水アルバム帖」より、右下は杉浦非水。


この展覧会の図録などは発行されなかったのではないかと思われるが、残された写真や非水の自伝や新聞、雑誌等に掲載された記事から断片的にではあるが展覧会の様子を確認することができる。
写真1を見ると、右上に「日曜画報、真ん中辺には「三越」「みつこしタイムス」、「少年世界」等を見つけることが出来る。


写真2には、「単林子撰註」「三十六年」などが確認できる。


「……同展には、非水本だけではなく、同館所蔵の洋書に付された蔵書票(エキスリブリス)の展示に加え、所蔵本が「大和綴」「袋綴」といった製本の種別ごとに陳列されており、本展の構成自体が、装飾品としての〈本〉の魅力をアピールする内容となっている。」(「“図案”への目覚め」『杉浦非水の目と手』宇都宮美術館2009年)とあり、非水の個展ではなく展覧会の一部に非水の作品も展示されたものと思われる。


さらに、「日比谷図書館では一般の好尚を高め、書籍雑誌保存の趣味を鼓吹する目的で、杉浦非水氏に請うて…」(「読売新聞」1912〈明治45〉年3月31日)とあり、毒諸文化や装幀への理解を広めようとする図書館と、作品発表の好機であり、装幀や図案というものを啓蒙するチャンスとする非水の思惑が一致しての開催となったようだ。