しかし、市販されたおおば比呂司:装画、丘永漢『サムライ日本』(中央公論社、昭和34年)の装丁には、頂いた装画は使われていなかった。



おおば比呂司:装画、丘永漢『サムライ日本』(中央公論社、昭和53年)


おおばが、依頼された装丁に対して何案か提案したうちの一つで、実際には使われなかったものなのだろうか。もしそうだとしたら、せっかく作ったものを使わないなんて、なんとももったいない、ぜいたくな話だ。DTPが標準になってしまった今では、そんなのは当然と考えている編集者もいて、「簡単に幾つもできるんでしょう」なんて言いながら何案も出させるのはよくある話でもあるが、考えるのは人間なので、手作業が少し楽になったからといって、決して簡単な作業ではない。それでも、採用したのは1点だけだからなどと勝手な言い分を並べて、「支払いは1点分だけ」という、さもしい世界ですね。


いや、それとも、シリーズ本で、私が所有していない巻の装画として使われたのかもしれない。そう思って、ネット検索をかけてみたら邱永漢『さむらい日本』(日本経済新聞社、昭和57年)がでて来た。この本は未見なので、何にも言えね、が、この本に使われた装画であって欲しいと願う。


私は以前から、おおば比呂司に興味を持って、装丁や著書を集めていた。興味の発端は、おおばは、オランダに2年間も滞在し『ヴァン・ゴッホの蜃気楼』(講談社、昭和59年)や『オランダからの色鉛筆』(旺文社文庫1984年)等を著しており、これらの画文集を見ているうちに、どこか安野光雅氏を思い起こさせるような、安野氏のイメージに近いものがあるような感じがしたことからはじまった。



おおば比呂司『ヴァン・ゴッホの蜃気楼』(講談社、昭和59年)カバー
ゴッホを思わせるような激しい色使いの表紙画だ。



おおば比呂司『ヴァン・ゴッホの蜃気楼』(講談社、昭和59年)本文より



おおば比呂司『ヴァン・ゴッホの蜃気楼』(講談社、昭和59年)本文より



おおば比呂司『ヴァン・ゴッホの蜃気楼』(講談社、昭和59年)本文より


早速調べてみた。すると、夢は正夢とばかりに、安野光雅氏にも『オランダの画帖』(日本放送出版界、平成4年)があり、期待通りの本を見つけて驚いた。偶然にしては、すご過ぎる。ちょっとしたひらめきが現実のものになってきたような興奮を味わった。



安野光雅『オランダの画帖』(日本放送出版界、平成4年)カバー



安野光雅『オランダの画帖』(日本放送出版界、平成4年)本文より
この人ごみの感じが、何ともおおばの人ごみと雰囲気が似ているんだよね。具体的にどこが似ていると言われると、同じような表現はほとんどないのだが。



安野光雅『オランダの画帖』(日本放送出版界、平成4年)本文より



安野光雅『オランダの画帖』(日本放送出版界、平成4年)本文より



安野光雅『オランダの画帖』(日本放送出版界、平成4年)本文より


二人ともオランダ紀行の画文集を出しているからといって、おおば比呂司安野光雅氏との間にどのような関係があったのか? 絵のタッチがにているからといって、それを調べることがどんな価値があるのか? などさまざまな疑問質問が寄せられそうだが、二人とも水彩画の名手であることは確かなようだ。