牧野富太郎『植物一日一題』(ちくま学芸文庫、2008年)を購入。毎日描いていたんですね。


巻頭序文に「昭和二十一年八月十日より稿し初め、一日に必ず一題を草し、これを百日欠かさず連綿として続け、終に百日目に百題を了えた。」とあり、本当に百日描き続けたんだ。もうそれだけで尊敬ですね。とほど暇だったんですね、なんて言っている人は誰ですか。そんなことはありません。



牧野富太郎『植物一日一題』(ちくま学芸文庫、2008年)


カバー袖にある牧野富太郎の紹介には
「1862-1957。現高知県生まれ。植物分類学者。小学校を中退し、独学で植物学者を志す。東京大学理学部植物学教室で研究、同大学助手、講師を務める間に全国の植物の採集調査を続けて多数の新種を発見し、日本の植物分類学の基礎をつくる。「植物学雑誌」を創刊。理学博士、第1回文化功労者、没後文化勲章受章。」とあり、独学だったことに驚かされる。


芳賀徹『平賀源内』(朝日選書、1989年)には、栗林薬園の完成者讃岐十二万石の第五代藩主、松平頼恭(よりたか、1711-1771年)について「源内の主君、頼恭も、けっしてただ動植物を集めては、それを眺めて楽しんでいるといった全くのお道楽の人ではなかった。彼は『松平頼恭公採集草木衆帳目録』と呼ばれるコレクション・カタログを編ませ、そこに自身および部下を使って集めた植物七一四種、うち重複や園芸種の雅名などを差引いて約五〇〇種を記録させたほかに、蒐集した草木鳥魚の若干部分を前記のように標本し、保存のきかないものについては画工に精密周到な図譜を作らせたのである。」


とあり、十三冊の華麗な図譜を残した。この松平頼恭が、同じ四国つながりなので、牧野に影響を与えた人なのではないだろうか、というのが私の仮説で、『植物一日一題』に答えが書いてないかな、等と思いながら読み始めた。