2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和初期・挿絵画家のサイン集めも後二人で600人となる。ここまで来ればほとんどのサインは解読できるはず、と思っていたが、解読が難しいサインが『小学生全集 第1巻』(昭和2年)から出てきた。目次に羅列してある16人の画家名から村山知義、須藤しげるなどこのサインの画家とは「違う」と分かる名前を消去していくと「芳野尚方」が残る。サインは清水良雄の兎のサインのようにも見えるが草書体辞典(画像右)で調べると「尚」であることが分かり芳野で間違いないと思う。これまでに収集した芳野のサインにこれと同じものはないので多少の

清水良雄のサイン(左)と芳野尚方のサイン

木村荘八のサイン(右下)は何と書いてあるのか分からないまま特異な形を勝手に「木村画」と書いてあるのだろうと解釈していたが、昨日見つけた『富士に立つ影』の挿絵に描かれたサイン(左下)は、比較的読みやすく「荘八画」と書いていることが分かった。2003年以来の間違った知識が9年ぶりに今ここに訂正された。

郄橋忠弥(1912〜2001年)の代表的な装丁といえば昭和31年第1回中央公論新人賞を受賞しベストセラーになった深沢七郎『楢山節考』(昭和32年)だろう。忠弥はサイン収集のターゲットである戦中にも佐々木邦『夫婦讃歌』(昭和17年)などたくさんの装丁を残しているが、その何れにもサインを見つけることができない。1965(昭和40)年に渡仏したころから絵が明るくなる。佐藤愛子『加納大尉夫人』(昭和44年)の装画は、滞仏中に描いたものでビビットで明るい色調が心地よい。

大正末期から昭和初期の映画産業で盛んに用いられたキネマ文字のタイトルだ。さぞかし創作者の小谷津五碧は知名度の高い画家だろうなと思いネットで検索をかけたが何もヒットしなかった。今回、名前が分かっただけでも今後調査する上では大きな収穫だ。

新劇を中心に舞台美術や映画美術を数多く手がけた昭和を代表する舞台美術家・伊藤憙朔(1899-1967年)が描いた永田秀雄「孫逸仙」(「日曜報知」昭和6年)の挿絵だ。装丁などもたくさん残しており活動範囲の広さに驚かされる。

1940年、第二次大戦の戦火迫るパリを脱出し、7月帰国した頃に藤田嗣治が描いた挿絵でまだパリの香りを芬々と漂わせている。9月には陸軍省嘱託としてノモンハン戦闘を主題とする作品制作のため新京へ行く。藤田嗣治のサインは、「Foujita」、「嗣治Foujita」(画像右下)「嗣治」が多く、タブローには「嗣」一字だけのサインは見受けない。掲載した画像「改造」(昭和15年9月号)は「嗣」(画像右上)一字だけのサインだ。アルファベットのサインは禁止されていたのだろうが、それだけではなく複製絵画にはタブローと同じサイ