【101冊の挿絵のある本(23)…… 太田三郎:挿絵、川端康成『浅草紅団』(先進社、昭和5年)の挿絵を紹介します。】
この本には5点しか挿絵が挿入されていません。そこで、「浅草紅団」太田三郎:画、(『モダン・TOKYO円舞曲』ゆまに書房 、2012年)に掲載されている19点も一緒にアップします。
▶︎浅草紅団について(出典: フリー百科事典『ウィキペディア《Wikipedia》』より)
・初出…『東京朝日新聞』 1929年12月12日号-1930年2月16日号、挿画:太田三郎
「浅草赤帯会」-『新潮』1930年9月号(第27巻第9号)
「浅草紅團」-『改造』1930年9月号(第12巻第9号)
・刊行 先進社 1930年12月5日 装幀:吉田謙吉。装画:太田三郎 収録 『モダン・TOKIO・圓舞曲』 1930年5月8日(途中まで)
『浅草紅団』(あさくさくれないだん)は、川端康成の長編小説。旧漢字表記では『淺草紅團』。全61節から成る。川端が30歳から31歳にかけての執筆作で、昭和初頭の浅草の人間模様を見聞記風・叙景詩風に描いた作品である。昭和モダニズム文学とも呼ばれ、この作品の影響で、浅草を訪れる人々が増えるという浅草ブームが起きた。
姉を捨てた男への復讐のために、浅草の街をさまよう不良少年少女パフォーマンス集団「浅草紅団」首領の中性的美少女に案内され、浅草の裏社会に生きる人々の有様を綴る「私」のルポルタージュ風な物語。関東大震災以降の都市の街並、浮浪者、乞食、娼婦、ポン引き、踊子、見世物小屋、エログロ・ナンセンスなどの美と醜が混在する風俗、新旧の現象が、世界恐慌から昭和恐慌の波が押し寄せる不穏な空気感を背景に、抒情的な目線で描かれている。
▶︎太田三郎経歴(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
太田 三郎(おおた さぶろう、1884年(明治17年)12月24日 - 1969年(昭和44年)5月1日)は、洋画家、挿絵画家。
愛知県出身。黒田清輝に洋画を、寺崎広業に日本画を師事。日本画の号は沙夢楼。1913年の文展で「カッフェの女」が受賞。1920-22年に外遊、フォービズム、キュビズムの影響を受ける。
君島柳三の名で挿絵画家としても活躍、川端康成の「浅草紅団」や矢田挿雲の「太閤
記」などの挿絵を描いた。俳句は室積徂春の『ゆく春』に参加。1955年愛知県文化会館美術科長。光風会会員。帝展審査員。