シーボルトのおかかえ画家・川原慶賀をご存知ないか!

シーボルトおかかえ画家・川原慶賀をご存知ないか!】
シーボルトの名前は中学校の教科書で見た記憶がある人も多いのではないかと思う。が、「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、1796年、ドイツ生まれ。1823年に長崎・出島のオランダ商館付の医師兼自然科学調査官として来日した。私塾を開設し西洋医学を伝える一方、オランダ政府の命で動植物や鉱物、民族資料を集めた。28年に帰国準備をするなか、積み荷に幕府禁制の地図が含まれていることが発見され、国外追放処分となった(シーボルト事件)。 開国後の59年に2度目の来日。外交顧問などを務め3年滞在、再び資料収集をして帰国した。1866年、70歳で病死。(2016-10-11 朝日新聞 夕刊 文化芸能)」ということを思い出せる人は少ないのでは?
 そんなシーボルトに画力を認められ、オランダ商館長の江戸参府に同行。道中はシーボルトの目となって見たものを正確に写し取りながら江戸に入る。……そんな川原慶賀について知る人は、本当に少数ではないかと思う。


 今、マイブームはこの川原慶賀なのです。
 シーボルトは、1829年に「シーボルト事件」により国外追放。帰国後『ニッポン』 Nippon (32〜54) ,『日本植物誌』 Flora Japonica (35〜70) ,『日本動物誌』 Fauna Japonica (33〜50) など日本関係の論著を刊行するが、その本の絵を描いたのが川原慶賀だという。果たしてどれだけが川原慶賀の絵なのかなどなど興味は深まるばかりだ。