夏目漱石『漾虚集』の前扉題字は誰が書いたのか?

夏目漱石『漾虚集』(大倉書店、服部書店、明治39年)は、明治33年9月にロンドンへ出発した2年半の英国留学で得たものを書き上げ、38年頃から次々と雑誌に掲載したものをまとめたものです。
 写真の『漾虚集』前扉は私の知る限りでは最も美しい思ってい ます。橋口五葉が描いたアールヌーボー調のオーナメント(飾り罫)は、100年以上経った今でもこれに勝る前扉を見たことがない。そんな前扉の真ん中にある朱色の題字「漾虚集」も五葉が描いたのだろうか? そんな疑問が初めて見たときからありました。



 訳あって、調べることになり、真剣に長年の謎解きに挑んでみました。疑問は案外あっさり解けました。明治美術学会で知り合い、「図書設計」への執筆を依頼したりでよく存じ上げている岩切信一郎さんの著書『橋口五葉の装釘本』(沖積社、昭和55年)147Pに、表紙の7編のタイトル文字や背のタイトル文字について「この文字は不折の筆によるものとされる。」とありました。
 安易な結論かもしれませんが、前扉の文字も同様に不折が描いたものではないかと推察します。つまり五葉と不折の共同制作ではないだろうか、と思うのです。 



 五葉は『漾虚集』の7点の題字が含まれる扉絵を描いており、不折は7点のカラー挿絵を描いています。

橋口五葉:画、「倫敦塔」(夏目漱石『葉虚集』中扉、大倉書店他、明治39年)960



中村不折:挿絵、「倫敦塔」(夏目漱石『葉虚集』、大倉書店他、明治39年



 不折は画家であり、『吾輩ハ猫デアル』の挿絵や「ホトトギス」の表紙を担当したり挿絵画家としても知られています。

中村不折装丁「ホトトギス」1904年



中村不折画、「吾輩ハ猫デアル」挿絵



さらに書家としても活躍しており、昭和11年には書道博物館を設立しています。ロゴタイプにも挑戦しており、「新宿 中村屋」や日本酒「日本盛」「眞澄」「夢殿」などはよく知られています。

中村不折揮毫、「新宿 中村屋」ロゴ




中村不折揮毫、「日本盛」ロゴ薦被り



中村不折揮毫、「眞澄」ロゴ



中村不折揮毫、夢殿ラベル



 不折は文字の研究者としても専門家なのです。このようなことを考慮すると、扉の文字は不折が描いたと考えるのが妥当ではないかと思っています。