軍事鉄道・武蔵野鉄道引込線跡を探る!

西東京市都市伝説探検隊▶武蔵野鉄道引込線跡を探る!】
西東京市に係わる幻の鉄道探検の延長で、廃線となってしまった4つ目となる武蔵野鉄道引込線跡を歩いてみた。
 出発はひばりが丘の交番辺りにある境界杭からだ。西東京市にはこの引込線に関する遺跡らしきものは、この境界杭(写真❶)1つしかない。杭には「境界」「住」の文字が確認でき、住友機械製作株式会社の「住」か? 帰宅して調べたら、 「住」は、日本住宅公団(のちに住宅・都市整備公団都市基盤整備公団。現都市再生機構)のマークでもあり、境界杭に掘られているマークとよく似ておりちょっと不安。



日本住宅公団ロゴマークのついたマンホールの蓋。


 線路跡が残されているのは、西友ひばりが丘店の脇を西に進み(この辺はもう東久留米市)、東久留米郵便局の脇の細い道を進むと、東久留米南中学校の裏の鉄塔があるところから始まる緑道にでる。この緑道が東久留米市指定文化財になっている武蔵野鉄道引込線跡で、戦時中は東久留米駅までつづいていた。
 散歩道としても楽しめる緑道だが、歴史的遺構として最大の見せ場は、落合川、立野川の岸にある橋台跡(写真❷)と築堤(写真❸)だろう。





 
 私の今回の探索の最大の目的は、「エ」の文字が彫り込まれている境界杭探しだが、築堤脇などでいくつかを確認することが出来た(写真❹)。




【たての緑地)は、昭和19年(1944)に武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)東久留米から旧中島航空金属田無製作所へ敷設された鉄道の引込線です。
 東久留米駅から分岐された全長2.84kmの側線で正式名称は「東久留米駅構外線」です。西東京市谷戸(旧保谷町・田無町)には軍用機エンジンを製造していた中島飛行機武蔵製作所【限武蔵野市】の鋳造部分の工場である中島航空金属田無製作所があり、砂などの原材料や燃料を小型蒸気機関車が引く貨車に乗せて運んでいました。昭和20年8月の終戦によって廃線となり、引込線は昭和30年代までその原形を保っていましたが、現在は築堤された道床や切通しなど、その一部を残すのみとなっています。旧跡指定は東久留米市所有地部分のみです(緑道の看板より)。