高橋忠弥に関する資料を担いで事務所を訪ねて来てくれた画家・荒田秀也さん

私が高橋忠弥に関する話を書いているのを知って、父親が忠弥の同僚で、本人も忠弥の影響を受けて進路を決めたほどに影響を受けているという荒田さんが、高校生から大学生の頃に作ったというスクラップブックをもって、事務所を訪問してくれた。


中にはたくさんの新聞や雑誌からの切り抜き、忠弥の展覧会の案内葉書、などが、貼りこんであった。私にとっては、一番蒐集が難しい新聞の記事がたくさん張り込まれているのは貴重な資料の宝箱のようなもので、非常に嬉しい資料の提供だ。



2時間ほど忠弥にまつわる話をしながら、上記のような絵を描いてくれた。これは「雀頭」と呼ばれる筆の絵で、雀の頭の形に似て先がコロンと丸く太った筆だそうだ。忠弥は戦時中中国に行っていた頃にこの筆と出あい、この筆が気に入り、タイトル文字などを書く時に使っていたのではないかと、荒田さんはいう。この筆を使ってゆっくりと書くのだそうだ。この太く短い穂先の筆を使ってゆっくりと描くのは上海などの中国南の書き方でもあるという。そういわれれば、何となくのんびりしていて南の感じがしないでもない。


そして忠弥はアトリエの名前を「雀頭居」と名付けた。そのいわれはこの筆のから来ているのだそうだ。そういえば「北方文芸」に連載していたエッセーのタイトルも「雀頭居雑記」としていた。
荒田さんは晩年の忠弥にもお会いしているという。


拙書『製本探索』(印刷学会出版部、2005年、1890円税込み)を執筆中にも同じような資料の提出があり、原稿を完成することが出来たという嬉しい話を思い出させた。


某大学の講演で「アジロ綴じ」という製本様式の発明者・広橋湛然に関するデータを探してるという話をしていたら、「その湛然は私の祖父です。」と長尾信教授が手を揚げてくれた。そして、特許は取得したが、第二次戦争が勃発してしまい、製本所は戦火にあってしまい「アジロ綴じ製本」に関する資料は何も残らず、機械の商品化もできなかったという話をしてくれた。


そして、後日、湛然の奥さんが特許証だけでもと、戦火の中をしっかりと抱いて守り抜いたという特許証を送ってもらうことが出来た。


今回の荒田秀也さんからの忠弥の資料提供もそんな期待を大きく抱かせる嬉しい出来事だ。新聞などは酸性紙のせいか触ると崩れそうなので、しっかりと複写して、なんとか残せるデータにして復活させたいと思っている。整理しながら少しずつブログでもアップしていきたいと思っています。