『風俗画報』とは、明治期に東陽堂から発行された「画報」ということばを誌名に掲げた近代日本最初のグラフ誌。1889年(明治22年)の創刊から1916年(大正5年)まで27 年間 にわたり通巻 478 号を数え、増刊号を合わせて518 冊を刊行した。
東京日本橋葦屋町の東陽堂が発行し、掲載内容は江戸時代から明治・大正時代を取上げて世相・風俗・歴史・文学・事物・地理・戦争・災害など当時の社会風俗を広範囲に視覚的に解説している。創刊号の「稟告」に「画ヲ以テ一ノ私史ヲ編纂スルノ料ヲ作ル」とあるように、表紙や口絵に色鮮やかな石版多色刷りを多用し、師弟関係にあった小林永濯・富岡永洗、その子弟など、多くの日本画家を起用し、主要記事には石版画による挿画(後には写真版)が付されている。日露戦争後は、写真印刷の実用化が進み、石版印刷は徐々に衰退し、大正5(1916)年に廃刊した。