『 さしゑ』には、中村不折・小川芋銭・石井柏亭・斎藤興里・前川千帆・橋口五葉・平福百穂・渡邊與平・津田青楓・小川千甕・下村為山・岡本月村など34名によるこま絵205点が掲載されています。
これらのこま絵を40点程ずつ5回に分け紹介しようと思っています。今回は、表紙、口絵8点、序文、小川芋銭のこま絵を32点紹介します。
序
挿畫といふと唯雑誌の飾の如く心得て.ゐるものが多いが、「ホトトギス」は其を獨立した藝術として取扱ひ来つたのである。其を輯めて出版してみてはどうかといふ光華堂主人の勧めを余は賛成した。木版は大概保存して置いたのが腐朽したものもあり破損したものもあり、其等は止むを得ず取り除いて、用ふるに足るものだけを輯めることにした。文章を組込んだのは別に意味はない。唯興味を添へたいといふに過ぎぬ。文章は、「ホトトギス」八巻以後で未だ他の書物などに輯録されてゐないもので、編輯に便宜なものを手當り次第に切り抜き時代の順序に配列した。文章を八巻以後に限ったのは、挿畫も自ら八巻以後に限られているからである。
たとへ頁數は文章で半分程埋められていても、此書は、挿畫を輯めたものである。従来挿畫に特別の価値を認めて取り扱って来つたことを多少の誇りとした「ホトトギス」が改めて批評を大方に乞はうとするのである。此書に「さしゑ」といふ名前を選んだのも亦聊か自任する所があるのである。
明治四十四年六月二十一二日 挑戦京城客舎にて 虚子識
ここでいう「さしゑ」「挿畫」と、今日使われている挿絵、挿画との意味はだいぶ違いがある。「序」では、「獨立した藝術として取扱ひ来つた」とあり、また「文章を組込んだのは別に意味はない。唯興味を添へたいといふに過ぎぬ。」あるので、それぞれは獨立した芸術である、お互いに関連性はないのである。
しかし、私たちが今日、「挿絵」「挿画」といいうときは、「挿絵とは、新聞や雑誌の紙面に挿し入れる、記事に関連のある絵。読み物などの文章に添えられる絵。挿画(そうが)。(デジタル大辞泉の解説)」というような意味合いで使われる。
つまり、『さしゑ』に挿入されている絵は、今風に言えば、「こま絵」が相応しい様に思える。