2012-11-09 鶴三は『孤雁遺集』(非売品、昭和5年)序に「彫刻家としての君を知る人は多いが、其前身が挿絵画家であった事を知る人は少ないでありましょう。少(わか)くして米国に渡り彼地で挿絵を専門に研究されたのであります。帰来我国に洋画風の挿絵の普及に努力されたのでありますが、当時は浮世絵風の挿絵が専ら行われて居た時代で、時節の早かった為め君の努力も人の顧みるところとならなかったのは、折角の宝ももちぐされにした感があって惜しいことでありました。其の後10年にして漸く洋画風の挿絵が世に行われるようになりましたが、君の努力が先