「余が植物分類に関する図書の編著に着手してより本年に至り満三十年を費やし、既に人生の四分の三に達する歳月を終始一貫、家名を忘れ、家政を顧みず全く自己の趣味から前心身を植物の採集に、写生に費消し、同時に他方に於て其の浅学をも顧みず、それが記録編集に従事しつつ、今日にいたったのである。」と村上三千男『図説植物辞典』(中文館書店、昭和13年)の自序にあるように、博物学研究会の名前で刊行した『普通植物図譜』全五巻(参文舎他 、明治40年)を皮切りに、多くの植物図鑑等の制作に携わってきた。その間、牧野富太郎との間に



村上三千男『図説植物辞典』(中文館書店、昭和13年


この『図説植物辞典』には6000点に及ぶ内外の植物が図版とともに掲載されている。単純には6000種もの植物を観たということに驚くが、それをみな精密な絵にしているということに更に驚かされる。現実には、当時まだ日本では全種類を見ることが出来ないこともあり、日本では見られない植物の絵に関してのトラブルが発生していたのではないかと言うことは容易に推察できる。