斎藤のコンプレックス

『自分がいつもいふことは、装幀は必ずしも画家を煩わさんでも著者自身の希望を根本にして、その足らざる部分だけを理解ある画家、若しくはその方面の人に謀ることが最も適当であると思ってゐる。自分には無論絵心はないからでもあるが、この一、二年、以上のやうな不満に対して、度々繰返して言ってきたことは、努めて絵画的ならざる装幀と、模倣的な材料を避けたいということである。』ゲテ本は、斎藤の絵画に対するコンプレックスからの産物なのか。絵画的にならないようにそして他人がやったものはさけるという斎藤の装幀に対する新年が、うかがわれる。
ちょっと自慢も入って…… 
『自分の趣味の上から、過般番傘の古いものや、蚕卵紙や、酒嚢などを利用して、一般出版界から面白い装幀として歓迎は受けたが、これは必ずしも、ゲテ趣味の表現化ではない。日本は趣味の民族、工芸の国である。廃物にしてなほかゝる有効な材料があるのはであるから、真剣になって材料を注意し選択したら、まだまだ日本の装幀界は材料の上にも効果の上にも、前途洋々たるものであるといふ一端を、事実的にほのめかし、皮肉ったものである。」と、自分の実績を披歴して、やや有頂天でもある。
 
斎藤の装幀は、面白い材料を使うげて本を得意とし、意識的な色使いを避けているため、『赤嵌記』のような画家が描いたカラフルな装画を使った装幀は珍しい部類に入る。