安野光雅『きりがみ昔咄─桃太郎・舌切雀・花咲爺─』(岩崎美術社、1980年)は、内容(文)はあっさりしているが、絵は素晴らしい。そんな興味で購入したので、だいぶ昔に買った本だが眺めただけで読んだことがなかった。改めて読んでみると、仲間由紀恵だった?かが、ベッドの脇で、「浦島太郎は亀を助けておじいさんになりました」と、うんと省略して本を読んであげるコマーシャルがあるが、それを思い起こした。でもこの本は、面白くて、絵がきれいなので紹介します。


桃を拾う場面では「おばあさんは こちらへこい こちらへこい としたじゃないの ももはしょくぶつだから きこえないよ」と、ストーリーに批判的だ。第三番目の人が雲の上から、語り部が語る桃太郎の噺を聞きながら批判を加えているような構成が面白い。metalanguageってこんなのも指すのかな?



安野光雅『きりがみ昔咄─桃太郎・舌切雀・花咲爺─』(岩崎美術社、1980年)


「ももたろうは せいちょうしたあるひのこと おばあさん きびだんご つくってください おじいさん せいしん きめました ももたろうは おにがしまへと でかけたじゃないの」と、ほぼ3〜4行で、きびだんごを作ってもらい、鬼ヶ島へと出かける場面まで話しが進んでしまう。もちろん、鬼退治の動機は語られていない。


ももたろうって、鬼を思いやるいい奴なんだ。船の上で、犬猿雉に訓示を垂れている。「ももたろうは ふねにのって ただいまよりくんじをする としたじゃないの ろうじんのおにをせめるな ふじんのおにをせめるな こどものおにをせめるな びょうきのおにをせめるな」と。そこまでいうなら、鬼退治しなければいいじゃないの。



安野光雅『きりがみ昔咄─桃太郎・舌切雀・花咲爺─』(岩崎美術社、1980年)

安野光雅文字(私は勝手に命名して「安光体」と呼んでいます)ともいえるこの、ステンシル風の文字を気にいって、練習してまねしたものです。次回、その練習の結果をアップします。


最終頁が面白い。「いくとき ふねでいって かえるのとき くるまでかえる これはこれは きわめて けうのはなしじゃないの」と、しめくくっている。自分で書いているんだから、帰りも船で帰ってきたらいいじゃないの、といいたくなるが、そうしないところが、この本のとくちょうじゃないの。あれ、安野弁がうつったじゃないの?



安野光雅『きりがみ昔咄─桃太郎・舌切雀・花咲爺─』(岩崎美術社、1980年)