2011-12-11から1日間の記事一覧

さらに、佐久間が一人で悩んでいるところに、さまざまな策を授けてくれた人物がいた。『尚茲に特記すべきは、氏の発明研究に對し、隠然其指導者となりて能く氏を導きたる。今の東京板紙會社取締役兼技師長小野寺正敬氏の存在是れなり。氏は幕府の士にして明治初めの米國に留学し、多年製紙業を研究し歸朝後王子抄紙會社の設立に與りて仝社に存りたるを以て、佐久間氏は屡々氏に請ふて教を享けたるのみならず岩戸工場實査を託して改良を加はたること少なからず。苛性曹達を用ゆるの利便なることを及粉碎機プレッス、光澤ロール等の据え付けを得たるは

小野寺正敬とは「江川太郎左衛門の門にあって砲術及び練兵の法を学び、歩兵指図役となり、明治維新の際鳥羽伏見や会津若松で官軍と戦った。後清水篤守の近侍に任ぜられ、明治三年五月篤守の欧米遊学に従って米国に渡り、ボストンに止まってウエストニュトン…

豊原又男『佐久間貞一小傳』(故佐久間貞一君胸像建設事務所、明治37年初版発行、昭和7年再版)によると、板紙(ボール紙)の製作過程がもう少し詳しく書かれている。

「愈々其事に當らんと欲するも、未だ抄造に用ゆべき原料の何物なりやさへ辨ぜざることなれば、原料の本質を知らんと欲し、舶来板紙の斷片を集め之を水に浸して融解せしめ、或いは之を煮沸して分析解剖し、一意原料の發見に心を注ぎたり。偶融液中我邦の麥桿…