電総研跡地

【しん散歩(13)…電総研跡地・タコ公園】
・写真上=タコ公園・電総研跡地、昭和59年(1984)撮影
・写真下=上と同じ場所を平成30年(2018)10月15日撮影
 西東京市向台5丁目の向台中央通り(江戸道)から石神井川までの広大な場所に、昭和14年逓信省電務局電気試験所田無分室が開設されました。昭和45年には、電子技術総合研究室(電総研)と改称され、昭和54年には、田無市、永田町、木挽町に分散していた研究所を統合して筑波研究学園都市に移転しました。その跡地が、現在の市民運動場、市民公園(通称・タコ公園)、総合体育館、田無高校になりました。



電子技術総合研究所田無分室(電総研)の建物の写真がありました。昭和53年撮影。「電子技術総合研究所田無分室 昭和五十四年度に移転を予定 筑波研究学園都市移転跡地利用計画 東京都が素案を提示」(「たなし市報」昭和54年)


平成元年に空撮された、市民運動公園や石川島播磨重工業IHI)。IHIって、平成になってからもあったんですね。


石川島播磨重工業。昭和34年撮影。


電子技術総合研究所田無分室。昭和50年代?


解体工事! あの巨大な石川島播磨重工業・田無工場の解体です。平成20年撮影。わずか10年前のことだったんですね。



電総研は通産省工業技術院に属する研究機関であり、1891年に逓信省の“電気試験所”として設立以来、“情報・エネルギー・エレクトロニクス・計測標準技術”4つの分野において文字どおり最先端の研究開発を行なってきました。
「電総研跡地施設整備概要図」(昭和57年)。



電総研跡地利用、市民総合体育館(仮称)建設にむけて工事中。昭和57年(1982)。



電総研跡地の調整池グラウンド整備工事がどんどん進んでいきます。昭和59年撮影。